【2019年8月】イタリアのウンブリア州にあるアッシジの聖フランチェスコ大聖堂での話の続きです。
博物館の係の人がとても親切だったので、今度は友達が、キリストの磔の像から人に向けてビームが出ている絵について尋ねました。
聖フランチェスコはキリストの苦難を共に味わいたいと思うあまり、ある日、キリストと同じく、手足に杭を打たれた傷ができたのだそうです。
それは単なる印ではなく、本当に苦痛を伴う傷だったとか。
その100年後にも、女性の聖人が全く同じ体験をしたのだそうです。
この一件を絵に表すときに、キリスト像からビームが出ているような図を描くことになっているという話でした。
実際、友達が指し示した絵だけでなく、ほかにもビームが描かれた絵がありました。
このため、聖フランチェスコの教団のエンブレムは、キリストと聖フランチェスコの手が交差した図で、どちらにも傷があるのだそうです。
なるほど、こうやって話を聞くと、目に入るいろいろな宝物に意味が加わります。
この係の人には心から感謝して、博物館を出、上の階の聖堂に入りました。
下部聖堂より明るく、こちらにもフレスコ画がたくさんあり、豪華でしたが、やはり写真は厳禁。
有名なジョットなどによる聖フランチェスコの生涯のイベントを表した絵の数々が並んでいます。
言うのを忘れていましたが、この大聖堂は聖フランチェスコが亡くなった二年後の1228年に建て始められ、上部聖堂まで出来上がったのは、1239年のことだそうです。
けれど、1997年の大地震でかなりのダメージを受けた後、2000年に再建されたとのことです。
上部聖堂から外に出ると、目の前に芝生が広がっていて、そこにちょっと歪んだ「T」とその下に「PAX」の植え込みがありました。
実は私がこの大聖堂に来るのは二度目だったのですが、情けないことに覚えていたのは、この芝生だけでした。
それで、この「T」なのですが、これは聖フランチェスコが使っていた十字架で、「タウ」と呼ぶのだそうです。
ヘブライ語やギリシャ語の「T」であるとともに、旧約聖書に出てくる最も古い十字架の一つだとか。
ネット情報によると、聖フランチェスコがこの十字架を好んで使っていたのは、頭の部分がないことで、キリストへの謙遜を表していたといいます。
これも博物館の彼に聞いたら、もっと深い話が聞けたのだろうなあ。
その下の「PAX」は平和という意味だそうです。
それから、壁際にアルメニアのハチュカルが一つ置いてあったのも目に留まりました。
以前、ヴェネツィアでアルメニア教会がある島に行ったときに、アルメニア正教会がある時点でバチカンから認められたという話を習った覚えがあるので、その関係かなと思いました。
最初に私がこの大聖堂を訪れたのは、地震で崩壊する以前に両親と一緒にツアーでイタリア旅行をした時だったのですが、母が言うには、その時には、日本人の修道士からいろいろ説明を聞いたということです。
私はすっかり忘れていたのですが。
きっと世界中から聖フランチェスコを師と崇める人々がここで修行しているのでしょうね。