ローディのゴージャスなお堂

ローディのゴージャスなお堂

【2019年4月】今回、イタリアのミラノから30キロほど離れたローディに足を延ばした主目的は、インコロナータという8角形のお堂を見たかったからです。

というのも去年、サッビオネータという世界遺産の町を訪れたとき、やはり8角形の同名の教会を見て感嘆したのでしたが、これがローディの教会をモデルにして建てられたと学んだのでした。

それで、ローディでは大聖堂を見た後、このインコロナータ教会を探しました。

地図もなく、当てずっぽうだったのですが、大聖堂が面している広場、ピアッツァ・デッラ・ヴィットリアから少し離れた所に8角形かもしれない建物の屋根が見えたので、その方向に向かいました。

けれど、目立った入口というのがなく、先に立って歩いていた夫が通り過ぎたところに、案内板があるのに気づき立ち止まってみた次第。

たまたま中から出てきた人が、「美しいよ。絶対、入ってみるべきだよ」と声をかけてくれたので、ここに違いないと確信したのでした。

入ってみたら、本当に息を呑む美しさ。

壁中にフレスコ画が施され、金色がふんだんに使ってあって、絢爛豪華とはこのことです。

私達が去年サッビオネータで見たインコロナータ教会は、だまし絵がすごかったのですが、ここにはそういった仕掛けはなく、ひたすら贅を極めていました。

この教会が建て始められたのは、1488年のこと。

そのきっかけの逸話が面白いです。

その昔、この教会がある土地には売春宿がありました

毎日、酔っ払いや娼婦たちによる、喧嘩や決闘が後を絶ちません。

1487年9月の事、この売春宿にあった14世紀のフレスコ画の聖母マリアがこの状況を憂えて涙を流し、人々に「この場所に私に捧げた教会を建ててください」と訴えたのだそうです。

これを受けて、当時の町役場が売春宿を取り壊し、教会造りに取り組みました。

それで今も、ここは民間の教会で、教会の教区が管轄する教会ではないそうです。

礎石を据えたのは1488年5月29日で、建設を任されたのは、地元の建築家で、ルネサンス建築を北イタリアに導入したブラマンテの弟子のジョヴァンニ・バッタージョでした。

ところが、バッタージョは一年後、謎めいた状況で担当から外されます。

教会建設の発注者と喧嘩したのではないかとみられているそうです。

二人のエンジニアがバッタージョの後を引き継ぎ、バッタージョの描いた設計図に基づいて建設を続け、1493年に出来上がりました。

例のフレスコ画の聖母マリアは、木製の額に入れられ、祭壇上部に祭られたそうです。

この絵は現在は、ミラノのスフォルツェスコ城内の博物館に掲げられているといいます。

機会があったら見に行こうと思います。

この時点では、内装はこれほど豪華ではなかったようで、内装はその後、様々なアーティストを起用して整えたとのこと。

中でもピアッツァ家という家族が代々、1529年から30年かけて絵を描いたとか。

その後の変遷を経て、現在、私達が見ているものは、19世紀前半にできあがった姿なのだそうです。

何度も言いますが、本当に豪華で、一見の価値があります。

それにしても、こんな素晴らしいモノが、世界的には殆ど無名のローディという町に隠されているなんて、イタリアという国の奥深さを感じます。

さすが、世界遺産の数が世界一の国だなあと感心したことでした。