【2019年3月】イングランド南部のカンタベリーでのウォーキングツアーの続きです。
バターマーケットに面したクライストチャーチ門を通って大聖堂の敷地に入りました。
まずはこの門について。
これは1517~20年に建てられた歴史的な門ですが、真ん中のキリスト像は1990年のコンペで選ばれたドイツ人アーティストの作だそうです。
もっとも周りには、チューダー王朝の紋章など歴史的なモノが並んでいます。
ちなみに、この紋章は白薔薇と赤薔薇から成っています。
チューダー朝は、15世紀半ばに30年に及んだランカスター家とヨーク家が戦った薔薇戦争で勝ったランカスター家の系統の王朝ですが、「紋章にランカスター家の赤薔薇だけでなく、ヨーク家の白薔薇を紋章にしたのは賢い選択だった」とガイドのスージーが言っていました。
門を入って大聖堂を見上げてガッカリ。
というのも、大工事中で足場が組んであったのです。
なんでも、5000万ポンド(約73憶円)かけて5年がかりの改装工事の最中なのだそうです。
雨漏りがそもそもの原因だとか。
大きなヴィジターセンターを作り、人々はそこから大聖堂の外観を眺めて、有料のチケットを買って中に入るかどうかを決める形になるそうで、「この計画を出して、宝くじファンド(宝くじの収益金を市民に還元する資金)を獲得した」とスージーが言っていました。
私達のツアーは、大聖堂内には入らず、外側をぐるりと周りながら、説明を聞きました。
工事中ながら、見られた正面には、取って付けたような白い像が二体。
これは現エリザベス女王とフィリップ皇太子の像で、「3年前、都合よくこの場所が空いていたので」(スージー)作られたそうです。
ちなみに、門を隔てて並ぶ黒ずんだ二体の方は、ヴィクトリア女王と夫のアルバート公だとのこと。
長さが160メートル近くある大聖堂の奥の方が古く、12世紀の建物で、フランスのカーンで採れるクリーム色の石を持ってきてフランス人が作ったそうです。
以後も、この部分の修復には、同じ石を調達しているとか。
カンタベリーとフランスは関係が深く、ここに織物の技術を伝えたのもフランス人。
大聖堂では歴史的に、フランス語での礼拝もやっているそうです。
大聖堂の前半分の新しめの部分は14世紀の建物。
高さが76メートルほどある真ん中のベル・ハリー・タワーは15世紀後半に加えられたものだそうです。
大聖堂の周りにある建物の多くが、元は修道院でしたが、ヘンリー8世が1538年に修道院を解散させた後は、キングズ・スクールという由緒あるパブリックスクールの建物として使われているとのこと。
この学校は当初、50人ほどの少年のために作られましたが、今は共学だそうです。
この学校出身で、最も有名な人は、シェークスピアと同時代の劇作家で、ゴーストライターかもしれないと言われるクリストファー・マーロウ。
壁に碑がありました。
また、ちょっと先にはマーロウ劇場という近代的な劇場も。
カンタベリー出身のマーロウは、この町のセレブの一人のようでした。