
【2024年12月】さて、この日は南イタリア、ナポリ近郊にあるエルコラーノ遺跡の見学です。
しっかりガイド付きのツアーを予約してありました。

カンパニア周遊鉄道のエルコラーノ駅には遺跡への道しるべは何もなく、人に聞いて行きました。
10分ちょっとの道のりで、ほぼまっすぐなので、迷いはしませんでしたが。
待っていた英語のガイドは、目がくるっと可愛らしいイヴァン。
と言っても、ロシア人ではなく、れっきとしたイタリア人です。
参加したのは、我々ともう一組の家族だけでした。
エルコラーノはここからほど近い有名なポンペイと同様、紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火で埋まってしまった町です。
18世紀、ポンペイより10年早く農家の人によって見つかったそうです。
今、私たちが見られるのは、全体の20%。
残りの部分に、劇場や寺院などがあるというものの、今は民家が密集して建てられてしまっています。
その様子がよく見て取れました。
採掘調査は今も続いているのか、との質問にイヴァンは、「いいえ。調査をしたいなどと、口にしないほうがいいくらいです」。
やっぱりこの辺りには闇の力がはびこっているのだな、と思わせる発言でした。
エルコラーノはいわゆる住宅街で、ポンペイは商業都市だったそうです。
それで、エルコラーノには町を清浄するシステムがあったといいます。
ローマ人の町の作り方の基本にのっとって、ここも通りは碁盤の目のよう。
街角には、大理石を集めて美的に並べたバーの名残などもありました。
御多分に漏れず、ローマ人にとって重要だったお風呂屋さんの跡も。
お風呂は男女別。
更衣室だったというかまぼこ型の部屋には、細かい飾りの跡が見られました。
最盛期には5000人ぐらいの人口があったエルコラーノですが、そのうち10%が裕福な貴族。
残りの50%は奴隷で、40%は市民権のない自由民だったそうです。
自由民は、アウグストゥスを神に見立てて、彼をまつった寺院を築いたそうで、カラフルな壁が残っていました。
中級家庭にもカラフルな壁画が。
庭を持つ財力のない人々は、壁に庭の絵を描いてめでたそうです。
奴隷や労働者は、そうした一戸建ての家の2階に住んでいたとのこと。
強く印象に残ったのは、ドック跡に散乱する骸骨。
でもこれは本物ではなく、地質を調べた結果、火山の噴火から逃げて海に向かった人々がこういう形で死亡したということが分かって再現したものだそうです。
やっぱり、遺跡はガイド付きで見て回るのが一番。
自分たちだけで見ても、ここまで面白くはなかったと思います。
ちなみに、エルコラーノとポンペイの両方を見ようと思っている場合、私たちのように、エルコラーノから先に見ることをお勧めします。