朝食はやはり、クロワッサンとカフェ・オ・レでしょう。
カフェ・ラッテが名前を変えただけだが。
本当に言語は不思議なもの。
国境のイタリア側、ヴェンティミリアを超えてほんの数十分のこの町だが、当然、皆さんフランス語。
しかし元来、イタリアだった町で、聞くところによると、イタリアのご老人たちもニースで余生を過ごす人が多いとかで、イタリア語も聞かれはしたが。
同じラテン系言語だが、耳に響く音が全く違うので、あらためて驚く。
多分、カーニバルの準備ではないかな。
観覧車が回っており、上からの見晴らしはさぞ良いだろうと駆け寄る。
他に客は誰もいなかったが、乗ってみた。
そして乗った直後に思い出した。
私はこの手の観覧車が苦手だったのだ。
ロンドンにあるロンドン・アイほど大きくてカプセルがしっかりガラスで覆われているものは全く平気なのだが、こういうすかすかのやつは高所恐怖症に襲われるのだった。
数年前、パリで夜に乗ってみたときに、そういう自分を認識したのであったが、すーっかり忘れていた(多分、次にこういった観覧車を見かけても、怖さを忘れて乗っちゃうんだろうと思う)。
ともあれ、カメラのファインダーから景色を見ている分には怖さが薄らぐことが分かったので、4回転ほどする間中、ずーっとカメラを覗き込んでいた。
その結果の一枚がこの写真。
ここが一番、ニースらしいところ。
ちょうどバレンタインデーに近い週末だったせいか、海辺にはそこここにカップルが。
暖かい日とはいえ、すでに海に入っているのぼせ者もいた(→)。
プロムナードに沿って、大きなホテルが立ち並ぶ風景は英国のブライトンを思い出させた。
何となく、盛りを過ぎて、過去の栄光を背負っているような雰囲気も同じ。
かなりキッチュな装飾のホテルも見かけた。
実際、ニースの旧市街のほうの建物はイタリアのリグリア湾沿いの町とそっくりだった。
何でも、イタリア王国をフランスに認めてもらうためにサルディニア国がニースをフランスにあげちゃったとか。
ちなみにイタリア語ではニースをニッツァと呼ぶ。
しかし、地図を広げてみると、今いる海岸からかなり遠い。
港の付近も行ってみたいが、すでに歩き回って疲れてきた。
こういうとき便利なのが乗り降り自由の観光バス。
ニースの場合、€20とお安くはないが、行きたいところに無駄なく連れて行ってくれて、しかも説明もしてくれるので重宝する。
高い位置から写真が撮れるのも長所。
そして、ここの録音音声案内人は「山本と申します」と名乗ったのであった。
こんなのは初めてで、大笑い。
山本さんは、港の向こう側の丘には金持ち達のご別宅が立ち並ぶことや、豪勢な建物はBelle Epoque 時代のものであること、ニースには古くからロシア人も多く、サンクト・ペテルブルクにあるようなロシア正教のたまねぎ教会もあることなどを教えてくれた。
シャガールのほうは有料だったが、ココロ温まる色合いの大きな絵がたくさんあって見甲斐があった。
童話の挿絵っぽい明るさだが、ユダヤ人としての宗教観みたいなのが描かれているらしいことが分かった。
この博物館のカフェで軽い昼食をとったが、日本人と思われる女性が給仕をしていた。