【2024年2月】北イタリア、ロンバルディア州の歴史のある町、ソンチーノにはロッカ・スフォルツェスカ城というお城もあります。
ソンチーノは、長いことミラノ公国傘下にありましたが、ヴェネツィア共和国との国境に接していたため、闘いが絶えなかったようです。
それで、15世紀半ばにミラノ公爵となったスフォルツァ家が、1454年に町を囲む新たな城壁を築き、その後、1473年にこのお城を造ったのだそうです。
その資金集めのためにユダヤ人を招いたという話を、先の印刷博物館で聞いたのでした。
もらったパンフレットによると、1535年にミラノ公爵の血筋が途絶え、ソンチーノはスタンパ侯爵家に譲られ、さらにスタンパ家最後の跡継ぎが、1878年にこのお城をソンチーノ市に譲ったとのこと。
そんな歴史のあるロッカ・スフォルツェスカ城はレンガ造りの要塞。
飾り気のない強固なイメージの建物で、塔や壁のてっぺんには、かなり敵対的な凹凸(「鋸壁」というのですね)があり、小さい窓が並んでいて、その下はストライプ状の支えがあります。
このような形のお城は、何度もみました。
夫はマルパガ城を思い出し、私はエミリア・ロマーニャ州のトッレキアラ城を思い出しました。
同じエミリア・ロマーニャ州のルーゴの町役場もこんな形でした。
何という建築様式なのでしょうか。
城壁の一部を歩き回り、辺りの牧歌的な風景を眺めました。
パンフレットによると、伝染病、税金、戦争などの影響でソンチーノは田舎の小さい村でしかなくなったと書いてあります。
ただ、19世紀には、絹産業が勃興。
いくつか工場が建ち並んだそうですが、その一軒がお城に隣接しています。
中に絹博物館があったので、お城を出た後に覗いてみました。
てっきり絹織物の工場かと思ったのですが、そうではなく、ここでは蚕を育てて卵を売っていたのだそうです。
案内板によると、ここでは、女性が一日11時間労働をしていたとのこと。
でも当時は14時間労働が普通だったそうなので、この工場は一歩進んでいたということでしょうか。
夫も私も好きなイタリアの小説で映画にもなった「Seta (絹)」を思い出しましたが、あれは舞台がフランスでしたっけね。