【2023年4月】イタリアの北西端、ヴァッレ・ダオスタ州のバール要塞を見た後、アオスタへ戻る中継点のヴェレスのお城も見てみることにしました。
この城も丘の上にありますが、バール要塞のような豪華な建物群ではなく、一辺が約30メートルの単純な立方体です。
石造りでいかにも頑丈そう。
バスを降りた後、近づいて外から眺めるだけでも、というつもりで歩き始めましたが、結局、丘の上まで登りつめました。
ツアーでしか中に入れないとのことでしたが、幸運にも、10分待ち程度で次のツアー(一人€6≒950円)が始まりました。
このお城は、後にイタリア王国の王位につくサヴォイア家に仕えた軍人シャラン家のもの。
13世紀後半からの歴史を持つお城を、14世紀末、イブレト・ディ・シャラン総司令官が建て直して今の姿になりました。
上の階には一家の居住空間もありますが、兵隊の駐屯地としての役割が主だったようで、1階は兵隊のための部屋と、砲弾置き場や馬小屋だった部屋から成っています。
馬小屋だった広い部屋では、今もカーニバルの時には地元民のダンスパーティーが開かれるとのこと。
それは、1442年に男系子孫が途絶えた後に家を継ごうとした娘のカテリーナ・シャランが、村民の人気を得るために、カーニバル時に村に降りて行って、庶民と一緒に踊ったという逸話がもとになっているそうです。
でも彼女の努力はむなしく、裁判の末、1456年に家の称号は男性のいとこのジャコモ・シャラン・アイマヴィルに継がれたとか。
居住空間には、様々な工夫がなされています。
例えば、大きな暖炉からの煙が貴族の部屋には行かないよう、暖かい空気だけが流れる作りになっていたそうです。
冷蔵庫の役目をしていた空間も。
寝室にはトイレが二つあり、ブツは直接、庭に落ちる仕組みになっていたとのことでした。
それから雨水を井戸に溜めるために天井はオープンになっていたそうです。
やっぱり、説明を聞くと歴史が身近に感じられて、面白いですね。
40分ほどのツアーでした。
このお城、一時的にサヴォイア家の手に移った後、17世紀末に再度、シャラン家のものとなりましたが、シャラン家の家系が途絶えた19世紀初めの時点では、すっかり廃墟になっていたそうです。
それを中世の歴史に入れ込んでいたピエモンテ州の学者グループが修復に乗り出したことで救われたと貰ったパンフレットに書いてあります。
修復が完了したのは1920年のことだそうです。
お城を出て、丘を下り、ヴェレスの町を延々歩いて、ようやく鉄道駅に。
この駅、とても古風な造り。
午前中は開いていたのですが、帰りには駅舎が閉まっていました。
毎日、午後3時に閉まるのだそうです。