【2025年1月】南イタリア、カプリ島でのお正月。
観光船を下りた後、カフェでコーヒーでも、と思ったのでしたが、営業していたたった一軒の店は、カフェではなく、れっきとしたレストランでした。
Furancuccio という名前です。
なので、ピザを食べました。
開いているのがここだけだったので、船の乗客がほぼ全員、ここに来たようで、混みあっていました。
ざわざわと忙しい中、グラスワインを試飲させてくれたのが良心的。
ピザは十分、美味しかったですし。
ただ、問題は寒かったこと。
レストランに限らず、どこもかしこも、日が当たらないところは寒くて身が固まっていました。
食後、バスでカプリの町に上るつもりだったのですが、一応運行はしているバスの本数が少なく、諦めました。
有名なフニクラは休業です。
ソレントに帰る船は、16:10発と決まっていましたので、まだまだ時間があります。
仕方なく、そこにいたタクシーの運転手に島を巡ってもらうことにしました。
これが€100(約16,000円)とぼったくりだったのですが。
島の基本情報など、案内は聞けました。
島の人口は13000人ほど。
カプリの町は商業の町で、人が住むのはアナカプリだそうです。
少し前までは、住民の半分がカプリに住んでいましたが、物価がうなぎ上りになったため、皆、アナカプリに移ったのだとか。
それから、昔々、「ローマ皇帝が自分の館から青の洞窟へ下りる専用のトンネルを持っていた」という言い伝えがあるそうですが、トンネルはいまだに見つかっておらず、伝説らしい、という話もありました。
私たちは、先に間近で見たファラリオーニ岩を高台から見下ろしました。
上から見る景色も素敵です。
ここは、前回、カプリを訪れた時にも来た地点だったと思います。
ここの上方に古いお城の跡があり、運転手によると、これが3500万ユーロ(57億円)で売りに出ていたことがあったそうです。
彼が連れて行ったあるロシア人女性が2800万ユーロでオファーしたところ、身元調査でごちゃごちゃした挙句、断られたとのこと。
その後、お城はずっと売れないままで、結局、オークションでフェリー会社のオーナー一家が1800万ユーロで競り落としたという話でした。
この運転手、生粋のカプリ生まれの人でした。
若いころ、友人たちと米国移住を計画したことがありましたが、母親の強い反対にあって断念。
イタリアでは母の力は絶大ですからね。
でも、渡米した友人たちは、一人を除いて皆、帰って来たそうです。
外に出た人々は、カプリは安全で良いところだ、と見直したのだとか。
その他、ちょこちょこ話を聞きながら、見晴らしの良い地点を中心にめぐりました。
最後はラ・ピアツェッタ(ウンベルト1世広場)。
前回来た時に、この時計台の文字盤と同じ柄の腕時計を買ったのでしたが、すぐに壊れてしまった苦い思い出があります。
以上で、カプリ島への遠足はおしまい。
ソレントでの冬休みも、これで終了です。
翌日はひたすら、帰路。
列車を乗り継いで、スムーズに帰り着きました。
今回は、何となく、家に帰り着いてほっとするホリデーでした。