【2024年4月】アルバニアを巡るツアー、翌日はサランダを後にして、海岸沿いを北上しました。
サランダのホテルの出る時に、早くも入って来たクリーナーの人が、私が日本人だと分かると大喜び。
どういう背景で日本が好きなのかなど聞きたかったのですが、言葉が通じず、わからず仕舞いで残念でした。
その上、彼女とのやり取りのため、トイレに行きそこなってしまいました。
そのままバスに乗り込み、最初の休憩所でトイレに駆け込んだ次第。
こうして始まったこの日は、私は体調不良が続いたのですが、訪れた所はとても良かったです。
まず、この休憩所はボルシュという名前の町で、滝が流れていました。
その滝を隠すかのように、レストランが段々のテラスを作ってテーブルを置いているのはどうかと思いましたが。
まあ、こうした環境で食事をするのも楽しいかもしれません
ここからさらに山あり谷ありの海岸線を行きました。
アルバニアのリビエラと呼ばれる美しいところで、ヒマラ行政区に属する地域です。
なんでもこの辺りの山の中は貧しく、オスマントルコのスルタンに見捨てられていたとのこと。
このため、自治が保たれ、キリスト教徒が多いのだそうです。
それから、第二次大戦でイタリアが、ムッソリーニを失脚させて連合軍に降伏した後、アルバニアに取り残されたイタリア兵士たちがドイツ軍に惨殺されたのも、この辺りだったという話でした。
まさに「コレリ大尉のマンドリン」の状況ですね。
あの物語はギリシャのケファロニア島が舞台でしたが、地理的にそう遠くないですし。
そんな話を聞きながら着いたのは、ポルト・パレルモという美しい湾。
ここの海はさすがにアドリア海らしい美しさでした。
4月のこの日、かなり暑かったせいか、もう泳いでいる人も見られました。
私達は、ここの小さな丘の上にある城跡を目指して上りました。
この城は、例によって、アリ・パシャが19世紀初めに建てたもの。
言い伝えによると、1804年、フランス軍の技師たちの助けを借りて建てましたが、完成後に、この技師たちを皆殺しにしたのだそうです。
ようやく登り切って城の前に出ましたが、残念なことに閉まっていました。
ガイドが道なき道をぐるっと回って入れる所を探しましたがダメでした。
すごすご下りてきたわけですが、この湾の美しさが見られて本当に良かったです。
サランダで醜い開発状況を目の当たりにした後でしたから。
ここの自然はこのまま残るといいなあ。
私達はその後、眺めの良い近所のレストランで食事。
おいしいブルスケッタ、サラダ、きのこのリゾットのランチでした。
と、メモには書いてあるのですが、写真がありません。
朝の出だしでつまずいて以降、どうも体調の不調が続いていたようです。