【2024年4月】アルバニア・ツアー、この日の目的地、ジロカストラに到着しました。
ジロカストラは世界遺産にもなっている町で、「石の町」として知られます。
家々が石造りだからだそう。
この日の見学は、丘の上のお城と、「House of Skenduli」というこの町の伝統家屋でした。
伝統家屋の方が面白かったので、そちらから。
タワー(塔)とガイドさんは呼んでいましたが、それほど細長い建物ではなく、ただ、何層にもなった大きな家でした。
かつては、4世代ぐらい、約30人が一緒に暮らしていた建物だそうです。
共産主義時代には、売却するよう要求されましたが、この一家はそれを拒んだため、この中の一室に押し込まれたという話。
でもその頑固さが功を奏して、体制が変わった後、元のように、この一家のものとなったそうです。
外は石造りですが、中は木造り。
こうしたオスマン・トルコ式の家はあちこちで見ましたが、この時には、以前、クリミア半島のバフチサライで見た宮殿を懐かしく思い出しました。
この家では、男女が別々に暮らしていたそうです。
客人が訪れた際、女性は食事を準備するけれど、姿を見せてはならず、上の階に上って、壁の格子戸から下の様子をうかがっていました。
そして、下で歓談する男たちが何が必要か見極めて、必要な物を提供したという話。
家族のはずなのに、出来の良い召使として使われていたのですね。
こんな失礼な話はない、と憤慨したことでした。
この一家はケチで知られ、長老が死を目の前にして言った言葉が「階下の灯りを消せ」だったそうです。
その話を聞いた直後に、その末裔である女性が、入場料の集金について、ガイドに確かめるという場面がありました。
まさに血筋が感じられた一コマでした。
ここに来る前に行ったお城は、バルカン半島でも最大級。
12世紀からの歴史があるお城ですが、今ある姿はほとんど、19世紀前半のものだそうです。
昔、平野にあったお城を、こちらに移して砦としたと説明されました。
15世紀に迫害から逃げてきたユダヤ人に対し、城づくりのために資金を出すなら、この町の町長にしてやる、と提案され、そうなったという話も。
何か、似たような話をイタリアのソンチーノで聞いたような・・。
どこに行っても、ユダヤ人と言えば、お金、ですねー。
18世紀末~19世紀初めにオスマン・トルコ内でも権力が強かったアルバニア出身の領主、アリ・パシャはここを拠点にしたそうです。
2階にはオスマン・トルコ時代、および共産主義時代の牢獄もあったとのこと。
ファシズム時代にイタリアが侵略して来た際使われたFIAT製の小さい戦車や、共産主義時代に領空侵犯して撃墜されたロッキード製の米軍機の残骸も展示されていました。
このお城、何しろ丘の上にあるので、眺めが素晴らしかったです。
眼下に広がるジロカストラの伝統的な家々は、ブルガリアのメルニックによく似ていました。
地図を確認したら、間に北マケドニアやギリシャの一部がありますけれど、ざっくり言って似たような場所ですものね。