【2018年11月】イングランド中部の街、リンカーンの中心的な存在である大聖堂、リメンブランス・デーのイベントやら何やらで、なかなかちゃんと見学できなかったのですが、最終日、しっかり見学しました。
お城とのセットになったチケットが£17・20(約2440円)もしたのですが、大聖堂内のツアーも含まれていて、かなり高齢の女性のガイドさんの案内で、中を巡りました。
1066年にノルマン・コンクエストを果たしたウィリアム一世は、1070年代、教区を整備し、大聖堂造りに乗り出しました。
1072年に建て始められたこの大聖堂の建設には現代のお金で500万ポンドかかったそうです。
1185年には地震により一部崩壊。
ただ、ガイドさんは「地震で壊れたという記録があるのは、大聖堂と主教の宮殿だけ。逆にこれらが崩壊した音は響きを人々が地震だと思ったのかも」と話していました。
1186年に修道士だった聖ヒューが抜擢されて主教となり、大聖堂の修復に着手。
修復作業は1192年から、聖ヒューの死後、1245年までかかったそうです。
東側から作業をはじめ、本当は西の壁面も建て替える予定でしたが、資金が足りなくなり、西の壁面を残したとのこと。
ガイドさんが「私には若いころからずっと慣れ親しんだ大聖堂ですが、ガイドになるまで気が付かなかった」と指さしたのは、もともとあった西の壁面と、東側から新調した建物の寸法が合わず、ずれが生じているところです。
なるほど、これは言われないと気づきません。
この修復作業には、民間から資金が集められたそうですが、献金した人の中にスワインハード・オブ・ストウと呼ばれる貧しい人がいて、全財産を提供したと伝えられています。
それで、金額そのものは少なかったそうですが、聖ヒューは彼の行いをたたえ、彼の像が大聖堂内に置かれています。
この日、身廊にはプラスチックの椅子が並べられていましたが、これはリメンブランス・デーの名残で、普段は椅子は置かれていないとのこと。
両側の壁にベンチがあり、老齢者などはそこに腰かけるのだそうです。
正教の教会を思い出しました。
入口に近い所にある洗礼盤は、ベルギーのトゥルネー産の黒い大理石でできています。
昔々は、聖水が盗まれるということがあったため、蓋があってカギがかけられているという話です。
水は年二回しか取り替えられず、同じ水が何度も洗礼に使われていたとか。
ガイドさんは「今もこの洗練盤は使われていますが、安心してください。今は洗礼の度に水を取り替えています」と言っていました。
この教会は主に地元の石灰石でできていて、石のままの色をしていますが、本来はカラフルだったとのこと。
確かに、ガイドさんが指摘した部分を見ると、多少、色が残っているのが分かりました。
修復後の一番、古い部分が「聖ヒュー記念聖歌隊席」。
荘厳でした。
聖ヒューは、迫害されたユダヤ人コミュニティーを守った人で、ある時は「彼らを殺すなら、私をまず殺してからにしろ」とユダヤ人グループの前に立ちはだかったという逸話があるそうです。
また、動物好きでも有名で、よく白鳥と一緒に描かれるという話でした。
大聖堂内外には、よく見ると、おかしな彫刻がたくさんあります。
その一つが小悪魔。
教会内に入り込んで悪さをしようとしましたが、失敗して、天使たちに石にされた像なのだとか。
年季の入ったガイドさんの話は尽きないようでしたが、1時間15分が過ぎたところで終了。
回廊と、司祭の会議場であるチャプターハウスは勝手に見学しました。
10角形をしたチャプターハウスは13世紀の建物だそうです。