【2024年5月】さて、アルバニア・ツアーも大詰めです。
振りだしの首都のティラナに戻ってきて、最後の晩はOda Gardenという屋外のレストランでみんなで食事をしました。
生演奏付きで、いかにもツーリスト向けらしいレストランでした。
お決まりのサラダのほか、チーズや豆の前菜が出た後、メインはラム。
ところが、その量が少なく、ツアーの中では若者であったシチリアから来た女性が、かなり本気で怒っていたのがおかしかったです。
それからツアー仲間の二人には、ラムがなかなかサーブされず、「私達が諦めると思ったら、大間違いよ!」と言っていて、皆で大笑い。
イタリアの曲が演奏された時には、オベリスクお婆さんが、音楽に合わせて楽しそうに歌っていて、見ていて心が和みました。
総じて、ツァーのみなさん、良い人々だったなあと思います。
さて、翌日は、最後の観光です。
本当は着いた初日にするはずだったのですが、フライトの時間の都合でできなかった約半分の参加者向けのもの。
ガイドには二度手間になったわけですが、仕方ありません。
まずは、官公庁が集まる地域へ。
政府の建物は、ファシズム時代のイタリアが建てたものが多いそうです。
中には、かなり派手なピンク色の建物も。
そこに、政府のための防空壕だったところがあって、博物館になっていました。
市内に60万あると言われる防空壕は、ツアーの最中にも見かけましたが、ここのは政府関係者向けなので、規模が大きいのです。
外にジープのような車が置かれていたのですが、これが共産主義時代の当局の車だったそうで、「この車が夜中に家の前に停まると、重大な危険が迫っていることを意味した」(ガイド)のだそうです。
博物館に入って見上げると、丸天井一面に「消された人々」の写真が。
その数は6000人ほどだったとのことです。
最近、80年代に投獄された人のインタビュー番組があったとのことで、その映像が流れていました。
この建物は防空壕であり、牢獄ではなかったのですが、狭い通路の両側に小さい部屋が並ぶ地下空間が牢獄を思わせるせいか、共産主義時代の怖さを表す博物館となっていました。
ちなみに、防空壕はガイドのジョルジョにとっては、雨の日の遊び場だったそうです。
彼の言葉の端々からは、その時代に、特に生活が苦しかった様子はうかがえませんでしたが、子供だったからでしょうかね。
この博物館からは、入口と別のところから出てきました。