【1999年5月】アゼルバイジャンとの国境に近いイランのアスタラから向かったこの日の目的地はアルダビールです。
ここのホテルは三ツ星という話でしたが、ひどいものでした。
羽アリがベッドにおっこちて来るし、ゴキブリの姿も。
アルダビール州という州の州都で、そこそこ大きい町なのですが、ましなホテルはなかったのでしょうか。
今回の旅行は出発前にエージェントを通して旅程を決めたもので、ホテル選択は全てお任せだったのでした。
アルダビールに一泊した理由は、ここから、シャーサヴァーンという遊牧民の人達がいる地域を訪れるためでした。
私はこのシャハサヴァーンの人達が織る絨毯やキリムにものすごく惹かれていて、彼らの姿を見ること、できたら織る場面を見ることが今回の旅の主目的だと言っても良いほどでした。
ところが、アルダビールのホテルに着いた時に、ガイドのハリルが、このシャーサヴァーンの人々がいる地域に行く道路のコンディションが悪いので、これを避けたいと言い出しました。
これまで、割とあちらの言う通りにしていた私も、ここでは切れて、「それじゃあ、イランくんだりまで来た意味が半減する」ときっぱり。
私の剣幕に驚いて、ハリルは慌てて、なだめるような事を言いましたが、何か、しこりが残りました。
どうも、客商売であることを忘れて、自分が楽な方に事を持って行きたがる傾向が感じられる人でした。
というわけで、翌日はシャハサヴァーンの人達のところへ直行したかったのですが、最初はアルダビール市内のサフィー・アッディーン・イスハーク・アルダビーリーという人の聖廟へ。
13世紀に生きた人で、16世紀に建国されたサファヴィー朝の元祖となったサファヴィー教団の教主だそうです。
イランの歴史の中では非常に重要な人で、アルダビールまで来て、ここに来ないわけにいかないというのも分かります。
気乗りがしないまま、美しい幾何学模様のタイルで覆われたイスラム建築を眺めていたのですが、はたと、ここがアルダビール絨毯が敷かれていたところだと気づいて、いきなり興奮。
アルダビール絨毯とは、ロンドンのビクトリア&アルバート(V&A)博物館にある有名な大きな絨毯で、絨毯好きの私は何度も目にしていました。
そもそもは二対あったのですが、両方ともかなり傷んだため、一方を他方の修理のために使ったという話。
修理に使った方の絨毯は米国のロサンゼルスの博物館にあるそうです。
19世紀にアルダビールの大きなモスク建設のために、二対とも海外に売却。
V&Aが買い取る際には、デザイナーのウィリアム・モリスが一役買ったのだそうです。
「そうか、ここだったのかぁ、来て良かった!」と突然、私の目が輝き始めたので、ガイドのハリルもびっくり。
オリジナルを海外に売り飛ばした後、床には小型の絨毯が何枚も敷かれていました。
そして、館内では、3人の男たちが、アルダ―ビル絨毯とそっくり同じ絨毯を織り始めていました。
3年かかるのだそうです。