【2019年8月】イタリアのウンブリア州の町、オルヴィエートは絢爛豪華な大聖堂で有名です。
何せファサードに金色をベースにしたモザイクが施されているので、きらびやかです。
宝物が多いイタリアの中でも、これは屈指のゴシック建築なのだそうです。
これに対して、大聖堂のサイドは白黒の縞模様。
これはこれで、迫力を感じて、私は好きですが。
ファサードはモザイクだけでなく、細かい彫刻も見事です。
4ユーロ払って、中に入りました。
中はがらーんとした大きな空間です。
前方の祭壇付近には、所せましとフレスコ画が施されていて非常に豪華ですが、後方はほとんど何もありません。
でもよく見ると、フレスコ画が残っていたので、昔は教会中が華やかだったのかもしれません。
この大聖堂の建設には謂れがあります。
ガイドブックを読んでもいまいち、よくわからなかったので、イタリア政府観光局のサイトから要約します:『1263年夏、ボヘミアのピエトロ・ダ・プラガという司教がローマの聖ピエトロの墓へ巡礼の旅をしていました。
彼はミサの中で重要な儀式である聖体拝領(最後の晩餐でキリストがパンとワインを手に取り「これが我が身、我が血なり」と言ったのに基づいて、パンとワインを会衆に分ける儀式)に疑いを持っていました。
彼がオルヴィエートから近いボルセーナ湖のほとりのサンタ・クリスティーナ教会でこの儀式を行うと、パンやブドウを包んでいた聖体布から血があふれ出しました。
ピエトロ・ダ・プラガは、オルヴィエートにいた時の教皇ウルバーノ4世にこれを報告。
教皇はこの布を祀るために、この大聖堂を建てました』。
この一件は、「ボルセーナの奇跡」と呼ばれているそうです。
というわけで、この大聖堂が建て始められたのは、13世紀末のこと。
現在ある姿は、何百年もの間に追加、改築されたもので、300人を超える建築家、彫刻家、画家が携わった結果、イタリアで最も美しい大聖堂の一つに数えられる作品が出来上がったのだそうです。
肝心の聖体布は、祭壇に向かって左側にあるチャペル、カッペラ・デル・コルポラーレに祀られているとのこと。
ここへは外から別の入口を通って入るようになっていて、私達は柵を通して眺めるだけにとどめました。
もう一つ重要なチャペルは、祭壇の右側のカッペラ・サン・ブリツィオで、ルカ・シニョレッリという人のフレスコ画の数々が見ものです。
このフレスコ画がミケランジェロにインスピレーションを与え、ヴァチカンの有名なシスティーナ礼拝堂ができた、とガイドブックに書いてあります。
夫が先日、いみじくも「この宗教のおかげで美術が発展したのだなあ」と言っていましたが、確かに、教会を飾るために、画家とか彫刻家などが職業として成り立ったのですね。