【2021年6月】エディンバラのガイドブックで、お城の次に見るべきものとして推薦されているのが「ザ・リアル・メアリー・キングズ・クローズ」です。
読んでも今一つ、何なのかわからなかったのですが、とりあえず、行ってみることにしました。
入場料は£18.95(2900円ちょっと)と高いのですが。
30分毎にツアーが開催されていて、コロナ渦中の今は一回につき、5組までと制限がありました。
このアトラクションは旧市街の目抜き通り、ロイヤルマイルにあります。
坂道を延々歩いたのですが、見つからず、とうとうお城に行きついてしまいました。
それもそのはず、ちょうど、外観を工事中だったのです。
やっと見つけて入りました。
時代物のコスチュームを着たガイドさんは、演劇学校の生徒なのだそうです。
私達の回は、小柄な女性ガイドで、ちょっとパワー不足だったかな。
各部屋の床にA、B、C、D、Eのマークがついていて、見学者はその位置に立つことで、ソーシャルディスタンスが保たれる仕組みでした。
私達の回は、見学者は2人ずつ4組、8人のツアーとなりました。
で、「ザ・リアル・メアリー・キングズ・クローズ」というのは何かというと、現在の市議会になっている建物を作る際に埋められてしまった通りと住居なのです。
16~17世紀の一般庶民の生活の跡がビビッドに感じられる地下街といったところでしょうか。
残念ながら、市議会という公的な建物の地下だからという理由で、写真は不可でしたので、ここの案内書を購入して、そのページの写真を載せています。
当時のエディンバラは、お城から伸びるロイヤルマイル(実際には1.1マイル。イングランドとスコットランドでは、マイルの長さが違っていたとのこと)を中心に、そこから脇に伸びる無数のクローズと呼ばれる坂道である路地から成り立っていました。
このメアリー・キングズ・クローズもその一つで、その昔は道の入り口にドアがあって夜間は住民以外は入れないようカギがかかっていたそうです。
狭い敷地で、建物を横に広げられないので、縦に積みあがるように伸びたとか。
貧しい一家は窓のない一部屋に住み、隅に置かれた桶がトイレ。
朝晩の2回、それを捨てに行くのは一家の若年メンバーの仕事でしたが、外に垂れ流すだけなので、町中、糞尿にまみれていたそうです。
メアリー・キングさんという17世紀前半に生きた実在の人物がいて、通りにその名がついたわけですが、この女性は夫に先立たれながらも、生地の販売や仕立てで成功した地域の有名人だったらしいです。
彼女は1644年に亡くなったのですが、その後も通りの名前として残ったわけですから大したものです。
彼女の死後、ペストが流行。
当時は無秩序だから流行が広まったと思われがちですが、新型コロナ渦中の今と同様、病気になった人は隔離され、ちゃんと食事を運ぶシステムがあったのだそうです。
一応、医者がいて、処置を行ったようですが、たいてい、医者もペストで死亡。
ところが、流行の最後に医者の役目に就いたドクター・レーは、全身を皮革で覆い、鳥のくちばしのようなマスクにハーブを詰めて顔を覆うことで、感染を避けられたため、市当局の予想に反して生き残りました。
市から大金を約束されていたのに支払われず、以後、ドクター・レーは10年に渡って闘い続け、やっと支払われたと思ったら、直後に結核で亡くなったそうです。
殺人だったのでは、と疑われているとか。
薄暗いところですから、幽霊伝説も豊富です。
一番、有名なのは、少女アニーの部屋。
日本の霊能者、宜保愛子さんが訪れ、「この部屋には霊気が強すぎて入れない」と言ったところです。
アニーは隔離されたペスト患者の一人で、親と離れ離れにされて悲痛の死を遂げた子供だったようで、宜保さんがなだめるために人形を与えたら、霊気が静まったという話です。
それ以後、訪れる人があれこれ人形をこの部屋に置くのが習慣になっているとかで、部屋の一角にぬいぐるみなどが積みあがっていました。
また、上の階の作業場だった部屋には、犬が尻ごみして入らず、入った見学者の中には、ここだけひんやりとした冷気を感じる人がいるという話でした。
私達はまったく、平気でしたが。
最後までメアリー・キングズ・クローズに住んだのは、のこぎり作りのアンドリュー・チェズニーさんで、1902年に立ち退かされたのだそうです。
歴史というと、たいてい、為政者の行いの話になりますが、ここでは庶民が主人公。
確かに興味深いひと時でした。
写真が撮れない代わりに、最後に写真撮影があり、£10で販売されていました。
私達のツアーで、買ったのは、おそらく、私達だけだったと思います。