【2010年3月】キューバのトリニダでの三日目、朝9時にロビーに下り、旅行会社のカルロスがアレンジしたミゲールのタクシーに乗り込みました。
彼は英語を話すドライバー兼ガイドで、トリニダから83キロほど北西のシエンフエゴスへ連れて行ってくれるのです。
ちなみに、このツアーのお値段は120ペソ(当時、約12000円)。
走り始めて割とすぐに、びっくり仰天したことがあります。
それは道路を横切るために車に轢かれて死んでいく無数のカニです。
産卵のために陸地から海へ移動するのですが、その途中にこの道路があるのです。
道路全体がうっすらオレンジ色に見えるほど、カニの死骸が地べたに張り付いていました。
気の毒に。
ミゲールによると、一年のピーク時には、車のほうがスリップするほどなんだそうです。
このカニはかなり大きく立派ですが、食用ではないとのこと。
死んだカニを食べるために、赤い頭をしたハゲタカが数多く、周囲の木で虎視眈々と狙っているのが印象的でした。
少なくとも、トリニダよりは豊かそうです。たとえば、薄型テレビが700ペソぐらいで売られていました。
ミゲールから聞いたところによると、人々の一ヶ月のサラリーは12ペソ程度というから、これを買うのは大変なことです。
彼からはいろいろ学びました。
その一つは、キューバはベネズエラから非常に安く原油を輸入して精製し、ガソリンを高く輸出して外貨を稼いでいるということ。
けれど、国内向けのガソリンも高く、一ヶ月のサラリーで車を満タンにはできないのだそうです。
そもそも、個人は車を買えません。
走っている新し目の車はタクシーも含め、政府の所有物。
ただし、1959年のキューバ革命以前から所有している車は、没収されることなく個人が使って良いため、アンティークが走っているという話でした。
ラーダやモスクヴィッチなどかつてのソ連車は、80年代に一時、勤労者にご褒美として与えられたことがありましたが、平等精神に反するとして、その制度はすぐに廃止されたとのこと。
車を売ることは違法なので、家族代々の所有物となるそうです。
ちなみに、一般国民はインターネットを使えないことになっています。
けれど、そこはラテン系(?)、皆さん、どなたか政府関係者に親戚や知り合いがいて、それを利用してメールのやり取りなどしている様子でした。
キューバの主な「輸出品」はガソリンに加え、医者なのだそうです。
医学ではかなり先端をいくらしいです。
とはいえ、90年代に社会主義国家が次々と崩壊していった後、キューバを救ったのはツーリズムだということでした。
こういう説明をしてくれたミゲールは41歳。
11歳の娘と釣りに行くのが楽しみなのだそうです。
本人はスペイン系とキューバの地元民族の混血だと言っていました。
この国には本当に雑多な人種が見られますが、差別なく完全に混ざり合って暮らしているように見えます。
スペインのアルハンブラを思い出させるパラシオ デ バジェ宮殿のそばの軽食屋でミゲールといろいろ話しました。
日本に友人がいるそうで、少しばかり日本語もできます。
言語に興味があると言っていました。
おかしかったのは、隣国であるジャマイカのレゲエは彼にとって全く意味をなさず、嫌いだと言っていたことです。
確かに、ラテンの乗りとは違うものなあ。
道中にあったマンゴ畑のところで、かつてあったアボカドの木は全部切られたと言っていました。その理由は不明ですが、ミゲールは、この国では「平等」の名の下に理不尽なことが頻繁に起こるとこぼしていました。
平等というのを誰がどの立場から判断するのでしょうか。
「社会主義、もしくは死」なんて標語がバス停のようなところに掲げられていたのを見ましたが、残念ながら、こういう人為的な社会には無理があるようだと思いました。
人間の欲求に反することを押し付けるその人もただの人なのですから。
ミゲールはやや親しくなったためか、帰りには予定になかったグアヒミコというダイビングの拠点にも寄ってくれました。