【2021年6月】スコットランドの首都、エディンバラの旧市街の目抜き通り、ロイヤル・マイルでスコットランド料理を食べた後は、2時半に予約していたホリールードハウス宮殿へ。
このロイヤル・マイルは、エディンバラ城を頂点にし、そこから始まる坂で、一番下に、このホリールードハウス宮殿があります。
入場料がかなり高く、大人は一人£16.5(60歳以上には割引)。
コロナ渦中の今は、事前予約が必須です。
各国語の音声案内が付きます。
今でも英国のエリザベス女王に使われているという宮殿と、それに密着したホリールード寺院の遺跡と、庭が見学できました。
12世紀の寺院が最初にあり、その脇に、15世紀に宮殿が建てらてたそうで、当初はスコットランド王家のゲストハウスだったようですが、スコットランド城より居心地が良いという理由で王族もこちらに居を移したそうです。
宮殿ですから、豪華な、「何とかの間」が続くわけですが、特に素敵だったのは食卓。
ここに招かれたら、緊張して食べ物の味が分からないだろうなとは思いますが。
大広間には肖像画がずらーっと並んでいましたが、この絵は担当の画家が1週間に1枚のスピードで描いたものだそうです。
最近、亡くなったフィリップ殿下の映像を流している部屋もありました。
一番、面白かったのは、16世紀のスコットランド女王、メアリー・スチュアートにまつわる話。
メアリーは、2番目の夫、ダーンリー卿と、彼の見目の良さに惹かれて結婚し(肖像画を見ると、あんまり美男ではないですが)、子供ももうけたそうですが、結婚した後、ダーンリー卿は「女王の夫」という地位に不満で荒れたそうです。
それで仲は急速に冷え込み、メアリーは、秘書のイタリア人、デビッド・リッツィオに信頼を置きます。
ダーンリー卿はこれに嫉妬し、子供もリッツォの子ではないかと疑い、リッツィオをメアリーの目の前で殺します。
その部屋がありました。
メアリーが自室で、リッツィオなど数人と食事を共にしていた時に、プライベートの階段からダーンリー卿とその一味が駆け上がってきて、メアリーの背後に隠れたリッツィオを引きずり出して、剣で56回も刺して殺したそうです。
よほど憎んでいたのでしょうねー。
この一件の後、ダーンリー卿自身、転落の憂き目にあい、翌年に殺されたとか。
フランスで育ったカトリックのメアリー・スチュアートと、スコットランドの宗教改革の立役者、ジョン・レノックスが宗教談義をした部屋もありましたが、実際はレノックスの一方的な説教だったのだそうです。
スコットランドで、なぜメアリー・スチュアートが重要視されているかというと、彼女が宗教改革の真っただ中の女王だったからだと音声案内が言っていました。
メアリーは退位を余儀なくされた際、フランスではなく、いとこのエリザベス1世を頼ってイングランドに南下したのですが、これが大きな誤算だったといいます。
結局、エリザベスが書類にサインして、メアリーは斬首刑になったわけですから。
音声案内によると、エリザベスの後、メアリーの息子のジェームズがイングランド王ジェームズ1世となったことで、メアリーの野望は息子を通じて達成できたとのこと。
でもそれは自分が死刑になった後の話で、彼女自身は満足感は得られなかったのですから、この見方はどうかな、と思いますが。
メアリーは有能な女性で、マルチタスクをこなしながら、刺繍もしていたそうで、彼女の刺繍が残っていました。
外の寺院は、18世紀から廃墟となっているそうです。
教会の骸骨とも言えるその姿には味わいがありました。
それから、庭は、5人の庭師が手入れしているそうです。
その先に見える「アーサーの玉座」という丘と一体化して見えるようデザインされているそうで、確かにそのように見えました。
外に回ると、「メアリー女王の浴場」と看板のある小さい建物がありました。
王族が庭の中で一休みする場だったようで、実際にお風呂があったかどうかは不明と書いてありました。
今回の宮殿訪問で一番、印象に残ったのは、やはりメアリー・スチュアートのこと。
幼いころ、確か「悲劇の女王」とか何とかいう題名の子供向けの本を読んで以来、「スコットランドには可哀そうな女王がいたんだよなあ」とずっと頭の片隅にありましたが、ここにきて実在の人物として迫ってきた感じです。
何年か前に飛行機の中で見た映画「Mary, Queen of Scots (邦題:ふたりの女王、メアリーとエリザベス)」をもう一度見てみたいなと思います。