【2022年9月】シチリア島の歴史的な町、ラグーサ・イブラで、男爵家を訪問しました。
と言ったら、聞こえが良いですが、ツアーの一環です。
でも案内してくれたのは、男爵その人です。
彼はアレッツォ家の息子で42歳のドメニコ。
ツアーを申し込んだ時からそこにいたTシャツと短パンのオッサンで、まさかこの人が男爵本人とは思わなかった人です。
お屋敷の名前はPalazzo Arezzo di Trifiletti。
アーチをくぐる形の階段を上って、居住空間に案内されました。
昔はろうそくを立てていたというシャンデリア、昔は神父が来てミサをしていたという祭壇(今も12月26日には神父が家族のため来るそうです)、20年毎に屋根をふき替えているので湿気が入らず、一度も修繕していない天井画、等々、そこで暮らしていた本人から聞くと、現実味が増します。
アレッツォ家の紋章がハリネズミであることは、劇場に行った時に教わったのですが、現在、実は二種類あるとのこと。
イタリア統一の際、アレッツォ家の一部は、当時ここを統治していたスペインのブルボン朝への忠誠を貫き、残りは統一に賛同したため、たもとを分かったそうです。
そのため紋章も、ハリネズミが一方向を向いている(ブルボン朝支持)のと、向かい合っている(統一支持)のとがあるそうです。
この家にある紋章では、ハリネズミが向かい合っていました。
ダンスパーティーを開いた大きな部屋は、PiazzaDuomo に面した窓があり、そこで男爵自ら、ツアー参加者の写真を撮ってくれました。
なかなかバランスよく撮れている写真で、褒めたら、「毎日やってるからね。腕が上がったんだよ」だそう。
面白かったのは、彼のお爺さんの世代までは、非常に旧弊で、男女がほとんど別々の生活だったとのこと。
広場での写真に写っているのはお爺さんを含め、男ばかり。
当時、女性は公の場に姿を現さなかったそうです。
なので、居間と別に黄色い家具がそろえられた「女性の間」というのがありました。
当時はダンスパーティーが男女の唯一の出会いの場だったそうです。
それでも結局は、家同士の都合で婚姻が決められたということでした。
壁にはドメニコの肖像も掲げてありました。
ティーンエージャーのころ、親がいない間に友達を集めてどんちゃん騒ぎ。
友達がアンティークの椅子を壊し、うるさかったので近所の人に言いつけられ、こっぴどく叱られた思い出があると言っていました。
彼には娘が2人いますが、女性は名前を継げないので、彼の支流はここで途切れることになるのだそうです。
現在、ドメニコ一家は別の家に住んでいて、彼の両親がここに暮らしているという話でした。