【2024年2月】イタリアのミラノから東に70キロほど行った所に、ソンチーノという町があります。
私達が持っている「イタリアの歴史的な村」と「イタリアの最も美しい村」の両方の本に載っている町です。
天気が良さそうなある日曜日、ミラノ近郊から車で行ってみました。
霧の深い朝で、道中、幻想的な風景が広がっていました。
ソンチーノに着いて、川沿いに車を停めました。
ふと見ると、夫がネット上で目を付けていたレストランが目に入ったので、夫が入って行って予約を入れました。
小さな町ですから、確保しておかないと、昼食難民になりかねないので。
このころには霧は薄れて太陽が照ってはいましたが、もやがかかったような光で、それはそれで良い雰囲気。
川沿いには、古そうな城壁の残りが見られました。
ポルタ・サン・ロッコという城門跡を通って旧市街へ入り、まずは、印刷博物館に向かいました。
この博物館も古そうな建物で、縦に延びた塔のような形です。
ここで、一人€7(1200円弱)のチケットを買いました。
このチケットで、博物館のほか、教会とお城に入れます。
博物館には、若いのにビートルズ・ファンだという、ちょっとエキセントリックな感じのお兄さんがいて、早口で案内をしてくれました。
彼によると、15世紀、迫害を逃れてドイツから来たユダヤ人が、ここで質屋を始めました。
お城造りに資金が要るスフォルツァ家の肝いりです。
ところが、近所の修道院が同じビジネスを始めたため、ユダヤ人たちは、印刷業に職替えをしました。
はっきりわからなかったのですが、ドイツから印刷技術を携えてこの町にやってきたのでしょう。
彼らはここで初めて、ヘブライ語の聖書を印刷したのだそうです。
それが1488年のこと。
お兄さんが言うには、グーテンベルクが印刷の生みの親のように言われますが、印刷そのものは、中国辺りで始まったそうです。
ただ、長持ちする金属を用いたのがグーテンベルクの特徴だったとか。
ヘブライ語の聖書を印刷したという機械のレプリカで、実際に印刷して見せてくれました。
このユダヤ人たちはその後、ソンチーノを離れて二手に分かれ、一派はアドリア海沿岸へ、もう一派はヴェネチアへ移って行ったそうです。
でも、彼らはずっと、「ソンチーノのユダヤ人」として知られたという話でした。
博物館の上の階には、いろいろな時代の印刷機が展示されていましたが、そちらは案内無しで我々が勝手に見て周っただけだったので、印象は薄いですが、先のユダヤ人たちの話は興味深かったです。
私も夫も、数年前に「Q」という宗教的な歴史小説にはまったことがあり、後半の舞台がヴェネチアで印刷の話が重要だったことを思うと、背景にソンチーノのユダヤ人たちが絡んでいたのではないかと想像を巡らせた次第。
小説と歴史的事実の接近が感じられ、わくわくしたことでした。