【1996年9月】パキスタンのフンザ地方の中心地、カリマバードでは、Hunza Baltit Inn という立派なホテルに泊まりました。
一泊850ルピー(当時、1ルピー=約3円)の部屋で、きれいで気持ち良かったです。
後で分かったのですが、日本人の団体客もここに泊まっていました。
こんな奥地まで来て泊まる日本のツアーがあること自体にびっくりしましたが。
朝食がとても英国調。
紅茶と目玉焼きとトースト、それにポリッジも選べました。
給仕の仕方がとても丁寧で、バトラーを思わせるほどです。
外へ出てみると、ここは山の斜面に家がへばりついている形の町なので、坂道ばかり。
結構、民族工芸店が並んでいて、胸が高まります。
目の前に迫る山々は、時間とともに、刻々と色が変わっていき、眺めていて見飽きません。
人々が皆、フレンドリーで、すれ違う度に、挨拶します。
全体におっとりした空気が漂っている気がしました。
何せ、フンザは長寿で知られ、大好きだった小説「失われた地平線」の中の桃源郷、シャングリラのモデルとも言われているところです。
坂の上の方にはバルチット・フォートというチベットスタイルの城跡がありますが、修復中。
これが近々、公開されるそうで、北パキスタンのカリスマ大富豪で英国在住のアガ・カーンが訪れるために、この辺りのホテルは次の週、全て満室だという話でした。
そのバルチットの方まで坂を上ると、オールド・ポロ・グラウンドという広場に面した建物の屋根の上で、6人の男たちが音楽を奏でていました。
皆さん、かなりのお年寄り。
大太鼓1つ、小太鼓2つ、ラッパが3つ。
ラッパの音がチャルメラのようです。
メロディーがつかめない音楽で、一曲一曲の違いが分かりませんでした。
男子校の学校の門の外だったせいか、灰色のサルワール・カミーズが制服らしい男の子たちが、ボール遊びをしていました。
ところで、ここがいかに世間から切り離されているかの例を一つ。
電話をかけるのが一筋縄ではいかないのです。
ホテルからはかけられず、土埃が舞う急な坂を下って「テレフォン・エクスチェンジ」という所へ。
小さい部屋に普通の電話と、受けるだけの電話の乗ったテーブルと、椅子が7つほど並んでいました。
そして、この国の首都、イスラマバードへの電話がつながるのに、何と、小一時間もかかったのです。
さらに、絵葉書を出しに郵便局まで坂を上ったら、今度は「切手が売り切れ」という理由で閉まっていました。
桃源郷とは、世俗を離れた平和な世界。
ここはまさに、そんなところでした。