【1999年6月】イランの古都、イスファハンで、ホテルのレストランでのランチの後、歩いてヴァ―ンク教会を目指しました。
その途中、絨毯屋さんが。
ちょっと覗いて、種類と値段をリサーチするだけのつもりだったのですが、ここでどーんとお買い物。
バルーチというイラン南東部に住む遊牧民が織ったパイル織のラグと、旅の初期に会ったシャーサヴァーンの人々が織った平織りのソフレを合わせて400ドル(当時のレートで約48000円)で買ったのです。
もちろん、値切った末のお値段。
ソフレというのはほぼ正方形の布で、遊牧民の人々が食事時に床に敷き、その上に食べ物を並べる、いわばテーブルクロスのようなものです。
今のルール(1999年当時)では、外国人は一人一枚、パイル織の絨毯を買ってよいという決まりだという話でした。
アンティークのパイル織の絨毯は、投資材料ともなっていて、値段がどんどんつり上がっているとのこと。
我々のガイドのハリルによると、年代やオリジナルは、専門家でも正しい判断ができるとは限らないそうです。
いずれにしても、私の買い物は投資用ではないので、柄が気に入って、お値段さえ手ごろであれば、もうハッピー。
るんるん気分で教会を見学しました。
ヴァ―ンク教会というのは、16世紀末にイスファハンが首都になった時、町の建設のために移住させられたアルメニア人達のための教会で、1606年に建て始められたもの。
教会内にはフレスコ画が満載で、博物館には様々な宝物があるのですが、一番、驚いたのは、髪の毛の上に字を書いたものです。
キリスト教が、そうでもしないとやっていけない弾圧された宗教だったのかというとそうでもなく、イスファハンを築いたサファヴィー朝のアッバース1世は、キリスト教を信じるアルメニア人を保護していたらしかったです。
教会の後、イマーム広場に戻り、午前に見なかったアリー・カプー宮殿へ。
これは、イマーム広場が作られる前からあった宮殿をアッバース1世が増築したものだとか。
淡いピンク色を基調にした、音楽堂のデコレーションが美しく、印象に残りました。
それから、広場に面したお茶屋さんで一休み。
ドイツ人の年配団体の向こう側に、日本人らしき男の子がぽつねんといたので、取材してみました。
インドからトルコのイスタンブールまで陸路、3か月かけて旅している人でした。
彼によると、イランは持っていたイメージよりずっと良く、道路も良いので夜行バスでも眠れるそうです。
泊っているホテルには、彼のような一人旅の日本人が15人ぐらいもいると言っていました。
その一人かもしれない女の子にも会いました。
彼女はイランだけで、もう2か月半ぐらい滞在していて、イスファハンに来てから3週間になるそうです。
中国のトルファンやモロッコのマラケシュのように、イスファハンもバックパッカーのたまり場なのかもしれません。
買い残した物を買ったりしているうちに、だんだん薄暗くなってきました。
最後に町を流れるザーヤンデルード川にかかる橋を二つ見に行きました。
イラン人は夜をこういう所で過ごすらしく、暗い中、人々が三々五々集っています。
実際、けっこうな混みよう。
ハージュー橋の上で笛の音を聞き、橋の下では大声を張り上げで歌う声を聞きました。
そして橋の中の茶屋で、豆、ヌードル、スパイスの類が入ったスープを飲んで、夕食ということにしました。
民芸調の内装がかわいらしい店でした。