【2022年9月】クロアチアのドゥブロヴニク滞在の最終日、宿のチェックアウト時間が午前10時と早かったので、延ばしてもらえないか、宿主のヨスコに尋ねたのですが、駄目でした。
それほどに観光客が次々に訪れているのでしょう。
彼の話だと、この宿にも紛争の際には爆弾が落とされたそうで、それを忘れないように、家のどこかにその傷跡が残っているとのこと。
この町の人々、歴史を忘れまいとする姿勢が強く、それはそれで感心ですが、そのせいで相手国の人々への憎しみを持ち続けるというのもどうかと思うのですけれど。
チェックアウトして荷物を預かってもらった後、もはや慣れ親しんんだPlaca大通りを散歩。
ふと思い立って本屋に入りました。
このホリデー中に一冊読み終わったので、帰りの機内で読む本を探したのです。
観光地なので、英語の本もけっこう取り揃えてありました。
ここで働いていた女性が、夫がイタリア人と分かって大喜び。
首都ザグレブの大学でイタリア語を学んだ人でした。
彼女によると、イタリア人観光客は主に、7,8月にドゥブロヴニクに来るそうです。
これだけ観光客が多いのに、イタリア語がほとんど聞こえなかったのを不思議に思っていたのです。
本を一冊買って、またふらふらと町歩き。
狭い階段のある北側をくまなく散歩しようと決めて階段を上って行ったら、途中にミュージアムだとの看板が地味に置いてありました。
覗いてみたら、修道女が一人、机に向かって腰かけています。
何の展示か尋ねたら、修道院だとのこと。
そして、夫がイタリア人だと分かると、この人も大喜び。
ローマに14年住んでいたというMaraさんという修道女で、クロアチア内のスプリットとシベニクの間の村で生まれ育ったのだそうです。
ここは今も稼働している修道院で、貧しい女の子達の教育・工芸を促進する一派だとのことで、現在、4人の修道女が暮らしているという話でした。
前日訪れた回廊が素晴らしいフランシスコ修道院やドミニカ修道院とは大きく異なり、個人の家がそのまま修道院として使われているような建物でした。
Maraさんは、入口を閉じて、私達に展示品を丁寧に説明してくれました。
そして、ここにも爆弾の跡がありました。
住宅のような建物の中ですが、上の階にかなり立派な教会があり、カギを開けて見せてくれました。
最後はここで記念写真。
Maraさんのおかげで、とても温かみのある充実したひと時を過ごすことができました。
ここで時間をとったので、散歩は諦め、三日前に行ったレストラン、Moskarを再訪。
従業員が前回と異なっていたので、最初、がっかりしたのですが、料理人もウエイトレスも前回とよく似た雰囲気の人々で感じ良かったです。
この日食べたフィッシュ・ボール、イカスミ・リゾット、シーフードのタリアテッレなど全て、満足できました。
デザートに「今日のケーキ」を頼んだら、「毎日、コレを作っているのよ」と言ってウォルナッツ・ケーキを出してくれました。
やっぱりこのレストランはお薦めです。
以上で、ドゥブロヴニク旅行はおしまい。
荷物を受け取って、シャトルバスの停留所へ向かったのですが、このバス停が二日前に乗ったロープウェイ乗り場の近所というのは、無思慮だと思いました。
何せ、重い荷物を持ってかなりの坂道を上らなければなりません。
帰る人だから、思いやる必要はないという考えなのでしょうか。
「アドリア海の真珠」と呼ばれるだけあって美しい町ですが、この人混みと物価高を考えると、また行くことはないかなと思いながら、帰路に着きました。