【2010年4月】強烈な異文化体験だったキューバ旅行も、とうとう最終日。
飛行機の出発時刻が午後8時過ぎだったので、この日もハバナを歩き回りました。
まずは我々のホテル・セビリアのあるセントロ・ハバナ。
旧市街と異なり、ここは普通の人々の生活の場です。
路上で野球をやっている少年たちがいたりします。
この国は米国が大嫌いなくせに、日本と同じで野球大国。
かなり強いらしいです。
もうちょっと南下して南米大陸に入ると、路上で少年がやっているのはサッカーになるのですが。
セントロ・ハバナの建物は欧州風で骨組みは豪華なものが多く、歩道は長いポルティコになっていたりします。
けれど、どの建物もすっかり朽ち果てていて、見るも無残。
まさか人が住んでいるとは思えないようなビルの窓に、洗濯物が干してあるのが見られました。
ポルトガルのポルトでも建物の建て直しが必要だと思ったのを覚えていますが、ここはそれに輪をかけてすさまじい様相を呈していました。
セントロ・ハバナの目玉は、カピトリオと呼ばれる旧国会議事堂でしょう。
米国のワシントンにある国会議事堂を手本に作ったそうで、確かにそっくりですが、ガイドブックによると、オリジナルよりやや背が高く、ディテールが凝っているのだそうです。
私達は中には入らず、外から眺めただけですが。
ここから海に向かって歩いて行くと、映画などで有名な通り、マレコンに出ます。
大波が打ち砕ける様子が絵になるところです。
広々とした通りは結構、交通量が多く、クラシックカーもちらほら。
防波堤は地元のカップルで埋め尽くされていました。
まじって座っていたら、人懐こい女の子がやってきて、身振りで写真を撮ってくれと言います。
カメラを向けたら、ポーズをとってみせました。
ちょっと離れて見ていた親が恥ずかしそうでしたが、この子は将来、モデルになるのかな(なったかな?)。
【あとがき(2021年2月)】50カ国超を旅行していますが、その中でもキューバ旅行は強くココロに残っている旅先の一つです。
あれから10年以上がたち、再訪したい気もしますが、しない方が良いのかも。
私の旅のメモに最後に「フィデル・カストロには長生きしてほしいものだ」と書いてあるのですが、その彼も2016年に亡くなってしまいました。
その後を弟さんが引き継ぎましたが、米国との国交正常化へ向けて動いている(トランプ政権で逆風も吹きましたが)ため、おそらく今はカナダ人に加え、米国人ツーリストもわんさかいるのではないでしょうか。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と言いますが、一度感動した旅行先も、現状は確かめないで、遠きにありて思った方がいいのかなと思います。