【2019年7月】カナダのトロントでカナダデーに遭遇したその二日後の7月3日、ケベック・シティーでは町の誕生日祭りが繰り広げられ、制服姿の人々が行進していました。
1608年の7月3日に、フランス人の地理学者で探検家のサミュエル・ド・シャンプランという人がこの町を創設したのだそうです。
とはいえ、休日ではなく、私達が朝食を食べたカフェのあるホテルの隣のビルには、まだ朝の7時半ごろなのに、どんどん勤め人が通勤してきていました。
働き者のケベック市民。
私達にとっては、この日は町のウォーキングツアーの日です。
ガイドは、マイケルという年季の入った人で、さすがに有料ツアーだけあって、プロの案内人でした。
ただ、私達以外は皆、米国人ツーリストで、勢い、米国人向けの案内になっていました。
歴史や現在の事情などを織り交ぜた案内で盛りだくさんでしたが、その中で面白かったのは、マリー・ド・レンカルナシオンという修道女の話。
フランス人の彼女は子供のころから宗教心が篤く、宗教の道を歩みたかったのですが、両親の反対で、普通の結婚をします。
子供が一人生まれますが、その後すぐに夫に先立たれたのを機に、本人は宗教の道を突き進みます。
聖ウルスラ修道会に入り、1639年、当時、ヌーベルフランスと呼ばれた北米のフランス領であったカナダに渡り、地元の先住民やフランス人の女性教育に一生を捧げたのだそうです。
彼女が1641年に創設した学校は、北米初の女学校なのだそうです。
数年前、現ローマ教皇、フランシスコによって聖者の列に加えられた彼女と、その他の修道女の活動を示す博物館があるそうですが、私達はそこには入らず、付随するチャペルに入りました。
マリーさんのお墓もこの中にあります。
もともと1730年代に建てられたもので、祭壇などは当時の物ですが、建物は20世紀になって建て替えられたそうです。
L字型になっていて、一般席と、今もいる修道女たちの席が分かれていました。
ガイドのマイケルは「ふっと一息つきたいときに、ここに来る」と言っていました。
立派なマリー・ド・レンカルナシオンさんですが、フランスに残された息子はどうなったのでしょうね。
ガイドブックによると、彼女が息子に送った手紙の数々が、当時のヌーベルフランスの生活を生き生きと物語っており、研究の対象となっているのだそうですが。
英仏の戦争を経て18世紀半ばに英国領になったケベック・シティーには、イングランド国教会の大聖堂もあります。
大聖堂と言っても、それほど大きくない教会で、ロンドンのトラファルガー広場の脇にあるセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会を模して建てたものだそうです。
カトリック教会のノートルダムより高く作りましたが、その後、ノートルダムが改装して、こちらの方が一段と高くなったという話でした。