ホッジャの家だったという民族博物館

ホッジャの家だったという民族博物館

【2024年4月】アルバニアのジロカストラでの二日目、8時15分に集まって、まずは民族博物館に行きました。

前日におとずれた伝統家屋のHouse of Skenduliのすぐ近くです。

ホッジャが生まれ育った家だったというアルバニアのジロカストラの民族博物館の部屋
民族博物館の中の部屋

前日、ガイドのジョルジョが「あの博物館は好きじゃない」というようなことを言ったので、行かないのかと思っていたのですが、ね。

博物館の建物も、伝統家屋の形ですが、前日の家より整然としていました。

一部屋ごとに、いろいろな展示されています。

ジョルジョが「好きじゃない」理由は、「ここがオリジナルの家ではなく、修復したレプリカだから」と言っていたと思いましたが、ガイドブックにによると、この建物は、もともと、エンヴァル・ホッジャの家だったのだそうです。

だから、嫌いなのかも。

ホッジャの家だったというアルバニアのジロカストラにある民族博物館に敷かれたキリム
欲しかったキリム

ホッジャといえば、一代でこの国の共産主義を築き、さらには鎖国に踏み切り、多くを粛清した独裁者。

彼が1985年に死亡した後の1990年代初めにやっと開国されたわけですから、40代後半ぐらいのジョルジョには、ホッジャは嫌な奴なのかもしれません。

なぜこの博物館の建物が、オリジナルでなく、修復されたものかというと、単に、オリジナルは火事で焼けてしまったからだそう。

かなり素敵なキリムがあちらこちらに敷いてありました。

こういうのが売っていたら、買うのですがー。

ホッジャの家だったというアルバニアのジロカストラにある民族博物館の中の丸テーブル
男たちが乗って踊ったというテーブル

きっとアンティークでしょうね。

部屋の真ん中に円形テーブルがあり、ジョルジョによると、ウエディング・パーティーの際、男たちが集まって、このテーブルの上で踊っていたのだそうです。

それからライスボール(とジョルジョが呼んでいましたが、おそらくチフチという伝統料理)を料理する時に使う鍋も見ました。

タコ焼き用の鉄板の半円を大きくしたような鍋だったのですが、これはオイルを節約するためだそうです。

ホッジャの家だったというアルバニアのジロカストラにある民族博物館に展示された民族衣装
奥の男性の衣装がギリシャのとそっくり

前日訪れた伝統家屋の一族だけでなく、この町の人々は節約家として知られているという話でした。

世界のあちこちで、そういう評判の地元民がいますね、イタリアのジェノヴァとか、スコットランドとか・・。

民族衣装が並んでいる部屋には、ギリシャの衛兵の衣装とよく似たものが。

アルバニアがオリジナルだという意見もあるのだそうです。

ホッジャの家だったというアルバニアのジロカストラにある民族博物館に展示されている靴
ボンボンの付いた靴

このスカートは広げると、30メートルにも達するとのこと。

ちゃんとぼんぼんの付いた靴も展示されてありました。