【2024年12月】(久しぶりに夫の投稿です)
ポンペイには初めて行きました。
私はイタリア人ですが、日本人の妻は、既に訪れていました。
アマルフィ海岸に加えてカンパニア州を訪れる観光客なら、有名なポンペイを見逃すはずがありません。
ポンペイの歴史は有名で、西暦79年にヴェスヴィオ山の噴火により、街は6メートルの溶岩に覆われました。
ガイドのアルフォンソ・マリアさんが説明してくれたところによると、最初に人々は30キロメートルほどの高さまで上がったと言われる巨大な煙柱を遠くから目撃し、キノコのような形になってポンペイを含む周辺地域に流れ落ち、街全体を覆い尽くしたそうです。
火山灰と火山礫が降り始めると、人々は避難を始めましたが、約1,200人が間に合わず、噴火の激しさに巻き込まれて亡くなりました。
火山灰が固まり、その形をとどめた自然の鋳型ができたことで、その位置のまま保存された遺体が数多く発見されています。
私が最初に驚いたのは、この都市が巨大であることです。
また、まだ完全に発掘されていないという事実、数メートルにも及ぶ火山噴出物がまだ埋もれている広大な地域があることを考えると、世界中から考古学者のチームが集まり、都市全体を明らかにしようと発掘作業を行っているにもかかわらず、作業が完了するまでには何年もかかることでしょう。
今もイタリアのニュースで非常に重要な新たな発見が報じられることも少なくありません。
街の規模の大きさに加え、家々の豪華さにも驚かされました。
中には今でも良好な状態を保っているものもあり、商業都市として栄え、非常に豊かな街だったことがうかがえます。
ヴィラは広々としており、大きな部屋に多くのフレスコ画や装飾が施されています。
ガイドさんによると、ミラノ、トリノ、ヴェネツィアなど、今あるイタリアのほとんどの都市は、ローマ時代の軍事基地から発展しており、当時の建築様式をそのまま残して碁盤の目状の構造をしています。
ポンペイでも、大通りとそれらを結ぶ脇道が明確に区別されており、すべてに規則的な番号が振られているため、街の秩序が保たれていたそうです。
アルフォンソさんによると、当時の男性の兵役義務は20年で、平均寿命が今日よりもはるかに短かったため、当時の人生の大部分を占めていました。
そのため、軍隊は生活の困難を乗り越えるために麻薬や幻覚剤さえ使用していたそうです。
街には、人々がワインだけでなく、当時非常に人気があったビールを飲むための、現代のパブのような場所もあります。
ローマ人はタバコではなく、地元のハーブを愛煙していたようです。
有名な女性の像があり、ローマ社会では女性は重要な役割を担い、差別もなかったと聞きました。
市民権の面では非常に先進的な社会だったようです。
彼らは男性のペニスに関する信仰を持っており、そのため、大きなペニスを持つ男性の絵画や像が家の入り口に置かれ、邪悪な力を払い除けていました。
フレスコ画の色彩がとても気に入りました。
赤から黄土色まで、とても暖かい色合いで、寒色はほとんど見られませんでした。
この日の唯一のマイナス点は、敷地内で飲食をするために立ち寄ったカフェです。
空間は完全に乱雑で、カプチーノを飲むのに30分以上、サンドイッチを食べるのに1時間以上もかかりました。
席も少なく、スタッフの教育レベルも非常に低いです。
特に外国人観光客にとっては、これは良くない例でしょう。
ツアーの最後には円形劇場を訪れました。とても大きく、約2万人を収容できます。
劇場など、まだまだ見どころはたくさんありましたが、街全体をゆっくり見て回るには数日かかると思います。
ツアーの最後に、アルフォンソさんは真っ黒な猫に挨拶してみせてくれました。
その猫は「チェレスティーノ」(天上の、神聖なという意味)と呼ばれているポンペイの住民だそうです。
ガイドはとてもフレンドリーで、典型的なカンパニア人でした。
話を誇張して楽しませることが多かったです。
例えば、イタリア人はラテン語起源の言語なので英語を習得するのに15日しかかからない、などと言っていましたが、40年間英語ガイドを務めているにもかかわらず、発音の間違いなど、彼のスピーチには多くの誤りがありました。
しかし、これは地元の文化の一部なのです。
彼らはいつも何でも大げさに言って大げさに話します。