キエフは7年ぶりです。
今回はウクライナ人の友人、アリーナが旅程をアレンジしてくれたので、充実感がひとしおでした。
まず、予約していたウクライナ・ホテルに着いてびっくり。
前回の旅行の際、スターリン建築風でひときわ目立つこの建物を写真に撮った覚えがあったのです。
改装したという話でしたが、雰囲気は昔のまま。
実際、改装は終わっていないようで、階によっては、閉鎖されていました。
このホテルは独立広場の真ん前に建っていて、「革命」とも呼ばれる2014年のウクライナ騒乱の時には、ジャーナリストのたまり場だったそうです。
独立広場は騒乱の中心地だったこともあり、「銃弾が飛んできて怖かった」とその場に派遣された記者の友人が話していました。
ロシアのクリミア進攻に発展したこの騒乱は、いまだに決着を見ていませんが、少なくとも、今のキエフはいたって平和。
私達はホテル内の広々としたレストランでランチを食べました。
メニューは、ボルシチ(ロシア料理の定番ですが、もともとはウクライナ料理だとか)、ホルプツィと呼ばれるご飯が入ったロールキャベツ、そしてデザートは蜂蜜ケーキでした。
どれも、親しみやすい優しい味わいでした。
グラスで飲んだのは、ジョージアの赤ワイン。
割と最近行ったジョージアで何度も飲んだ、サぺラヴィでした。
この国ではジョージアのワインがポピュラーなのだそうです。
お腹を満たした後は、さっそく観光です。
ミロスラーヴァというガイドさんが、ホテル近辺の中心街を歩いて案内してくれました。
まずは歴史から。
ロシアという国ができる以前の9世紀に、キエフを中心としたキエフ公国ができ、栄えましたが、モンゴルの襲来で破壊され、キエフはすっかり廃れたのだそうです。
19世紀になって、当時、高価だった砂糖づくりの中心地となり、勢いを取り戻し、「東欧のパリ」と呼ばれる瀟洒な地域ができたとのこと。
装飾的な建物を建て、部屋を貸す事業も盛んになったそうで、この辺りには本当に飾りの多い建物が建ち並んでいました。
ミロスラーヴァによると、「立派な外装だけれど、中は普通のアパートです」とのこと。
昔は池で、冬には市民のスケート場だったという公園の近くにあるドラマ劇場の脇の坂を上ると、ウクライナのホワイトハウスが。
1930年代に建てられ、当時はソ連の傘下でしたから、共産党の本拠地だったそうです。
7年前に来た時に、今回とは逆側から、この建物を見たのを思い出しました。
あの当時、大統領だったヤヌコビッチが2014年の騒乱の時に、ロシアに逃亡したのでした。
現在は、騒乱の後の5月の大統領選挙で選ばれた、資産家のポロシェンコがここに住んでいるはずです。