【2019年4月】沖縄県の離島、宮古島を観光タクシーで巡った日の続きです。
次に訪れたのは、「うえのドイツ文化村」というテーマパークです。
およそ島の雰囲気とはかけ離れた欧州風のお城がどーんと建っていました。
このお城は、ドイツの西南部、ラインラント=プファルツ州にあるマルクスブルク城を模したものだとか。
博愛記念館と呼ばれるこの建物の中では、ベルリンの壁の一部が展示されているそうです。
しかし、なぜこんなところに、と疑問が湧き上がるわけですが、なんでも、1873年にドイツの商戦が座礁した時に、宮古島の人々が小舟を出して船員を助けたのがきっかけだそうです。
船員たちは、島民の看護のおかげで、一か月後にドイツへ帰りました。
当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム一世がこの話に感動して、宮古島に碑を贈ったとか。
ドイツ文化村構想は、それから100年以上たった後の1987年に持ち上がったそうです。
1980年代後半はバブル全盛期で、日本国中のあちらこちらに、こういったテーマパークが林立した頃ですね。
ドイツ文化村がオープンしたのは1996年だとのこと。
それから20年以上たち、テーマパークのブームもすっかり衰えた今、パーク内は閑散。
一部は閉鎖されているようでした。
私達は無料で入れる敷地内をちょっと散歩し、ここにあるというハート形の穴がある岩を探しましたが、見つかりませんでした。
ちなみに、ビールが美味しいレストランが敷地内にあるそうです。
車に戻って、その後はしばしのドライブ。
次の行先は、島の南東の端っこに細く突き出た半島の東平安名崎です。
まずは半島の付け根のところに車を停めて、素晴らしい景色を眺めました。
美しい海の中に、丸っこい岩がごろごろと頭を出している不思議な光景です。
前日、飛行機の中で「今はテッポウユリがきれいです」と案内があったのですが、ここで白い花をいくつか見かけました。
ところで、今回の運転手は平良さんという人。
通常、観光タクシーは、運転手が観光案内もしてくれるものですが、彼はガイドには不慣れなようで、無口でした。
ただ、この場面では車を下りてきてくれて、写真を撮ったりしてくれました。
私が「苗字が島の町の名と同じですね?」と声をかけたら、町の名は『ひらら』ですが、彼の名前は『たいら』と読むと教えてくれました。
平良さんという苗字は宮古島で三大苗字の一つだそう。
今は宮古島市ですが、昔は平良(たいら)市だったのだと言っていました。
彼の家族は親子代々、この島の人だとのこと。
そして、ぼそっと「本土にも行ってみましたがね、やっぱり故郷が良くて戻ってきました」と話していました。