【2017年8月】ロシアのサンクトペテルブルク郊外のプーシキンにあるエカテリーナ宮殿の目玉は、何と言っても「琥珀の間」でしょう。
この部屋の見学は入れ替え制で、写真は厳禁です(上の写真はガイドブックのを写したものです)。
ツアー仲間の一人が撮ろうとして叱られていました。
ガイドのレフによると、この琥珀のパネルは、ピョートル大帝が当時のプロイセン王国から貰ったものだとのこと。
現在も琥珀の一大産地であるロシアの飛び地、カリーニングラードは、当時、プロイセン領で、ケーニヒスべルクと呼ばれていました。
ローマ帝国以前の古代の時代から、バルト海を臨むこの地方が琥珀の産地として知られていたことは、リトアニアの琥珀博物館で学びました。
ピョートル大帝は貰った琥珀のパネルを冬宮殿に保管したまま放っておいたそうですが、娘のエリザヴェータがエカテリーナ宮殿に琥珀の間を作ることを決めたそうです。
けれど、琥珀のパネルだけで一部屋作るには、琥珀の量が足りなかったため、部屋の半分は普通の壁で、そこに鏡を置いて、琥珀がたくさんあるよう見せる効果を出したとのこと。
その後、第二次大戦中、侵攻したドイツ軍が、琥珀の間を盗んで古巣のケーニヒスベルクに持ち去ったところ、英国軍の空爆にあって破壊されてしまったというのが通説です。
ところが、レフによると、オリジナルの一部がドイツのポツダム近くの地下から見つかり、それも現在のパネルの一部として使われているとか。
今、エカテリーナ宮殿で見られるこの「琥珀の間」は、1979年から24年かけて、復元し、2003年から公開しているものです。
実は私はここを訪れるのは二度目。
13年前、最初に行った時は、もっとごてごてしていて、ちょっと暗いイメージだったと思うのですが、今回、再訪してみたら、案外、あっさりしていました。
それから、赤みを帯びた琥珀がたくさん使われていたような記憶があったのですが、そうでもなく「赤いのも琥珀なの?」と言っただけだったのかもしれません。
ところで、スターリンは第二次大戦後すぐに、この貴族の館であるエカテリーナ宮殿の修復に取り掛かったそうです。
一般の人々が家を失い、食べるのもままならなかったのに、このきらびやかな宮殿の復興で、人々の気持ちを高揚させ、また、対外的には立ち直りの早さを見せつけるために、修復を急いだという話でした。
話はそれますが、ロシアには徴兵制度があります。
レフが一年間、徴兵されていた時の嘘のような本当の話を披露してくれたのですが、上官が駐屯地を訪れることが決まった際、兵隊は辺りの草を緑色に塗るという作業をさせられたのだそうです。
レフは、見た感じ、三十代の男性でしたから、そんなに昔の話ではないはずです。
驚きですね。
このレフは最後に「今日は皆さんのガイドで本当に良かったです」としみじみ。
なぜかと言うと、「昨日まで二日間、インド人団体を引率していたのですが、集合時間に2割程度しか集まっていない。それで残りを探しに行ってバスに戻ってみると、今度はバスに2,3人しか残っていないという状況で・・・」と言っていました。