【2024年7月】南イタリアのイスキア島にある古い町、イスキア・ポンテから土手道を渡って行ったアラゴネーゼ城は、なんと、紀元前474年に建てられたのだそうです。
そんな昔のお城が、遺跡にならずに、今も見学できる建物として残っているのはスゴイなと思います。
もちろん、その後、ありとあらゆる勢力の手に渡ったらしく、改築が進んだようです。
1301年にイスキア島で一番高いエポメオ山が噴火し、辺りの住民がこの城内に逃げ込んだことで、ちょっとした町が出来上がったそうです。
そのころはアラゴネーゼ城とは呼ばれていなかったのでしょうが、1441年にアラゴンのアルフォンソ5世がお城を再建し、守りの体制を強化したとのこと。
このお城を中心としたコミュニティーが最も栄えたのは16世紀末で、1892家族が住んでいた上、修道院や教会も多々あったそうです。
その後、牢獄として使われるなど紆余曲折があった末、1911年に個人が買い取ったという歴史のあるお城です。
この持ち主が手を入れて、今は一部、ホテルになっていたので驚きました。
城内は、モダン・アートの展示が開催されるなど、なかなかおしゃれな空間。
「本屋」と書かれた空間は、手作りクラフトの売店になっていて、質の高いお土産が買えました。
とはいえ、古いものがそのまま残っている部分もあります。
例えば、修道女の遺体が埋められているというトイレが並んでいるように見えるクリプトがありました。
ホテルがあるくらいなので、もちろんカフェも。
見晴らしが良いテラスにあるカフェで、気持ちの良いひと時が過ごせました。
行きはお城までエレベーターでさっと上ったのですが、帰りは歩くことに。
途中も見どころが山ほどあるのですが、そのうち、Cathedral of Assunta に寄りました。
ここはすっかり遺跡になっています。
火山の噴火の後、本島にあった大聖堂の仮住まいとして建てられ、15世紀、18世紀に改築され、最後はバロック調の教会となっていたそうです。
それを1809年に英国軍が砲撃して壊してしまったとのこと。
こうして、あちこち旅行をして歴史を知ると、英国人がいかに乱暴で粗野であるかが分かります。
ビクトリア時代の紳士・淑女のイメージをうまく世界にアピールしていますが。
この大聖堂跡の地下に、11~12世紀に建てられたチャペルがクリプトになったところがあり、一見の価値がありました。
美しいフレスコ画がたくさん残っているのです。
長年の間に、かなりダメージも受けていますが、それもまた一興。
もらったパンフレットによると、大々的な修復プロジェクトが進んでいるとのことでした。