【2013年7月】この写真は、ヤルタ会談が開かれたヤルタ郊外のリヴァディア宮殿にあり、会談の出席者が写っています。
スターリンの隣の隣に座っているのはグロムイコです。
ソ連時代を知っている人には聞き慣れた名前だと思いますが、この人、スターリン時代から、ソ連最後のゴルバチョフ時代まで、失脚もせず、粛清もされず、外務大臣をはじめとした要職に就き続けたんだそうです。
今回、この写真を見ながら、ガイドのスヴェトラーナの説明を聞いて、初めて知りました。
ちょっと調べてみたら、最終的に1989年に退職して、その後すぐに亡くなったとのこと。
ソ連の運営が彼の人生そものもだったのですねー。
ヤルタ会談の円卓を見ました。
ここで主に欧州地図の戦後の線引きを決めたわけですが、部屋を変えて、ソ連の対日参戦も決められました。
スヴェトラーナによると、1945年2月のこの時点では、ソ連は米国の原爆については知らなかったんだそうです。
米国代表のルーズベルトはこの時すでに死に瀕していたため、このリヴァディア宮殿に宿泊。
そのための家具はモスクワのホテルから調達したとか。
それから、チャーチルとスターリンが犬猿の仲だったため、いつもルーズベルトがその間に立ったとのこと。
また、3人のオフィシャルな写真が残っていないのは、おそらく、スターリンが自分の写りが気に入らなかったからではないかという話でした。