【1996年8月】中国の蘭州のバスステーションで、チベット系民族の人達が住む夏河へのバスを探しました。
すぐに見つかり、問題なく乗れたのは良いのですが、とんでもないオンボロバスです。
大きい荷物はバスの屋根の上に括り付けました。
長距離バスかと思っていたら、普通のローカルバスで、あちこちで人を拾ったり降ろしたりするミニバスと全く同じ。
そんな風にゆっくり進むので、260キロほどの道のりに8時間半(ランチ込み)もかかりました。
ランチ休憩のあった途中の臨夏という町までは、乾いた景色が続きます。
蘭州付近では真っ青な空だったのに、だんだん土埃のせいで空もベージュがかって見えてきました。
辺りの農家も土壁で、ベージュです。
臨夏で多くの人が降りました。
ランチにはきし麺以上に太い麺と肉の入った辛いスープと、黄色っぽくて平たいパンのようなものを食べ、一人5元(当時、1元=約13円)。
ここを過ぎると、景色に緑が増え、英国のウェールズを思い出す光景になりました。
夏河に着いたのは、午後4時頃。
バス停に一番近い友誼賓館に一泊100元で落ち着きました。
この宿、なぜか階段に富士山の写真が掲げてあります。
部屋はベーシックで、大きなパイプがむき出しで出ていて、きれいとは言い難かったですが、陽朔で泊まった宿程度の快適さでした。
とりあえず、付近を散歩します。
強烈な土埃が舞い上がる中、それに同化してしまったような人々が歩いています。
女性はつばの広い帽子を被り、三つ編みのお下げを垂らし、長い黒っぽいスカートにカラフルな縁取りのある上着を着ていて、写真で見る南米の人々に似ています。
チベットの僧の格好をした人もけっこういましたが、「特別」な存在ではなく、普通の市民として一般と気安く付き合っている様子。
それから、いかにも強靭そうな外国人バックパッカー達も見かけました。
少し話した米国人カップルは、資金調達のために、時々、英語を教えながら旅を続けているそうで、一人10元のドミトリーに停まっているという話でした。
その他見かけた旅行者も、地元で買ったらしい似合わない服を着るなど、やや奇妙な格好をしていて、やわな私達と異なるタフな雰囲気を醸し出していました。
ところで、この夏河、標高が3000メートル近くあります。
私はここで初めて、高山病かもしれない症状に陥りました。
食堂の一つに入り、ムスリムのお茶とりんごケーキを注文したのですが、この時、食欲も元気もすっかりなくなり、いつもだったらわくわくするような異国情緒にうんざりして、逃げ出したい気分に陥ったのです。
こんなことは初めて。
それで、ここに数日いるつもりでしたが、二泊だけで戻ることに決めました。
8月だというのにとても寒く、部屋の中でも陽朔で買った絹の上着を着こんで過ごしました。