【2018年12月】北イタリアの世界遺産の町、マントヴァで、ランチを楽しんだ後は、ドゥカーレ宮殿本体の見学です。
13紀後半から18世紀初めまで、強力な権力を誇った貴族、ゴンザーガ一家の居城だったこの宮殿ですが、一番、古い部分はゴンザーガ家が台頭する以前に領主だったボナコルシ家のものだったそうです。
ゴンザーガ家は権力を握るとすぐに、このボナコルシ家の家の改装に乗り出し、少しずつ、もともと自分たちが持っていた家々とつなげていったとのこと。
というのも、ゴンザーガ家は最初から、目に見えない権力だけでなく、地理的にも町を支配するということを念頭に置いていたので、宮殿の拡大も彼らの重要なプロジェクトだったといいます。
特に1432年、ゴンザーガ家が公式にマントヴァ侯爵として認められた後に、拡大が急速に進んだそうです。
この宮殿が様々な建物の複合体となっているのはこのためで、「町の中にある町」と呼ばれているとのこと。
全部で500余りの部屋があります。
ゴンザーガ家が途絶えた後は宮殿も見捨てられ、呆れたことに、1900年代の初めには、すっかり荒廃。
今も修復が進められていて、いくつかの棟はまだ半分廃墟になっているという話です。
というわけで、迷路のような内部なので、地図をもらったものの、どこをどの順番で歩いたのか把握できませんでした。
どの部屋も豪華なのですが、目に付いた部屋として挙げられるのは、まず、サローネ・デイ・フィウミ(川の広間)。
かまぼこ型の部屋のデコレーションが独特で、両角に小さい洞穴風の装飾があります。
もともと1575年に作られた部屋で、17世紀後半に洞穴を追加、1780年頃に凝った装飾を加えたといいます。
1579年に描かれたというサラ・デッロ・ゾディアコ(星座の部屋)の「夜」と名付けられた天井画も素敵でした。
それから、サラ・デル・ラビリント(迷路の部屋)には、確かに迷路のような木製の天井があります。
そこに書かれている文字の中に、’Forse che si, forse che no (多分、そのとおり、多分、違う)’とあるのだそうで、20世紀前半のエキセントリックな詩人のガブリエーレ・ダヌンツィオがこの文言を題名にした小説を書き、その中でマントヴァが主要な舞台になっているのだそうです。
また、ホメロスが書いたトロイア戦争を題材にしたフレスコ画が天井や壁に描かれているサラ・ディ・トロイア(トロイの部屋)というのもありました。
1531年にビザンチンの名家の娘が、ゴンザーガ侯爵と結婚したこともあり、ゴンザーガ家はギリシャとのつながりも誇っていたのだそうです。
まだまだありましたが、ありすぎて消化不良気味。
そうそう、ルーベンスやヴァンダイクの絵画の展示の部屋もありましたが、あれは企画展だったのかな。
夢の世界から外に出たら、もう真っ暗。
夫が宮殿のお向かいの床屋で散髪して、マントヴァ訪問を終えました。
ここの年季の入った床屋は、自己主張のあるプロでした。