【2023年7月】フランスのフォンテーヌブローでの二日目、友達夫婦がバルビゾンに連れて行ってくれました。
バルビゾンというのは、19世紀の若い画家たちが新天地を求めて集まった村の名前で、その人達が「バルビゾン派」と呼ばれているわけです。
バルビゾンというその言葉は有名なので昔から知っていましたが、それが道が一本の小さい村だということは知りませんでした。
その道の両側に可愛らしい家々が建ち並んでいます。
革命記念日が近かったせいか、トリコロールの国旗がたくさんはためいていました。
ここで訪れたのは、ミレー博物館です。
「晩鐘」や「落穂拾い」などの作品で有名なジャン・フランソワ・ミレーがそういった名作を生みだしたアトリエが公開されているのです。
もらったパンフレットによると、彼は1849年に流行したコレラを避けるためにここを訪れ、生涯住み着いたとのこと。
アトリエは、納屋だった建物をミレーが改造したもので、光が入るよう、大きな窓が設えてあります。
ここのキュレーターのおじさんが、ミレーを心から愛しているらしい柔和な感じの人で、いろいろ説明してくれました。
博物館には、ミレーの絵、彼が使った物など所せましと展示してあるのですが、同時代のほかの画家の絵もあります。
私と夫の両方が目を留めた絵は、ジュール・ブルトンという同じころの画家で、ミレーのように農民をよく描いた人だとおじさんが教えてくれました。
ミレーが貧しい農家出身だったのに対し、ブルトンは裕福な家の出だそうで、おじさんによると、農民の描き方が全く異なるとのこと。
本を見せてくれながら、ブルトンが農民一人一人の顔をしっかり描いたのに対し、ミレーはぼやかしていたこと、さらに、農地の管理人の立ち位置にも双方の人物背景の差が表れていると話していました。
それから、ミレーの「眠る農民」のスケッチがどう発展して作品になっていったかも説明してくれました。
ミレーはスケッチしてから何年も寝かせ、吟味を重ねて絵にしていったのだそうです。
ミレーに感化されたゴッホも倣って、眠る農民を描いたそうで、その絵も見せてくれました。
本当に湧き水にように、涸れることのない知識を持ったおじさんでした。
淡い色合いのミレーの絵は昔から好きでしたが、今回、このおじさんのおかげで、ミレーという人物像がずいぶん身近に感じられたことでした。