「赤毛のアン」ゆかりの地を巡る

「赤毛のアン」ゆかりの地を巡る

【2019年7月】カナダのプリンス・エドワード島で、小説「赤毛のアン」ゆかりの地を巡りました

カナダ プリンス・エドワード島の赤毛のアンの作者、モンゴメリーの墓
モンゴメリーの墓

最初に行ったのは、著者ルーシー・モード・モンゴメリーのお墓です。

一般の墓地の中、彼女のお墓だけ、お花畑のように派手に飾られていました。

それから、小説の中でアンが住んだグリーン・ゲーブルズを中心とした、Green Gables Heritage Place に行きました。

入ってまず、モンゴメリーの生い立ちに関する博物館を見学しました。

彼女が2歳になる前に、お母さんが結核で亡くなり、母方の祖父母に育てられたそうです。

カナダ プリンス・エドワード島の赤毛のアンのグリーン・ゲーブルズ・ヘリテッジ・プレース 
モンゴメリーの生涯を説明した展示

小説の中では、アンは孤児で、高齢の兄妹の家に引き取られて生活をするという設定ですが、モンゴメリー自身の体験が元になっているのだなあと納得。

モンゴメリーは子供の頃から文学少女で、詩を書いては新聞に投稿していたとのこと。

「赤毛のアン」については、5つの出版社で断られた後、しばらくお蔵入りしていたのですが、本人があらためて読み返して「やっぱり行ける」と自覚し、6つ目の出版社に送ったところ採用されて1908年に出版されたのだそうです。

祖父母が亡くなった後、5年間婚約していた牧師と結婚してトロントへ移住。

カナダ プリンス・エドワード島の「赤毛のアン」が住んでいたグリーン・ゲーブルズ
大きかったグリーン・ゲーブルズの家

けれど、夫の精神病、子供の死産、出版社との争いなど苦労は絶えず、67歳で亡くなったのだそうです。

あまり幸運な人ではなかったのだなという印象を持って、外へ出て、グリーン・ゲーブルズへ。

想像していたより大きな家でした。

実際には、モンゴメリーの祖父の従兄弟の兄妹が住んでいた家で、近所には、小説中に「愛の小路」として登場する散歩道も。

家の前に、アンがいたので一緒に写真を撮りました。

本当は、私達がここでアンとギルバート(アンの恋人)になりたかったのですが、貸衣装サービスはありませんでした。

カナダ「赤毛のアン」に登場する愛の小路
美しい「愛の小路」

次に、モンゴメリーの生家を訪れました。

彼女のウェディング・ドレスのレプリカや、靴の展示などがあるところで、ここの人が当時の生活の説明をしてくれました。

中で面白かったのは、当時の人は髪を切るとそれを取って置いて、集めて飾りなどを作っていたという話で、その例を見せてくれました。

さらに、「赤毛のアン」博物館。

ここはモンゴメリーが「シルバー・ブッシュ」と名づけて足しげく通った家だそうで、1911年の結婚式もここでやったという話でした。

カナダ プリンス・エドワード島の博物館にあった村岡花子訳の「赤毛のアン」
博物館で見せてもらった村岡花子訳の「赤毛のアン」

先のヘリテッジ・センターにも、ここにも、世界各国の言語に訳された「赤毛のアン」が飾ってあったのですが、日本語訳の本は、私が昔親しんだ村岡花子訳ではない物が飾ってありました。

なぜかなあ、と思ってここの人に尋ねたら、その人がここで働いているという日本人に電話してくれたのですが、応答しなかったため、二階の普段閉まっている部屋に入れてくれて、そこに並んでいた日本語の本を見せてくれました。

それは確かに、村岡花子訳でした。

さらに、別の部屋の木箱にしまってあった日本人の写真2枚も見せてくれました。

どちらも、この地を訪れたいと願いながら亡くなった人で、写真をここに送ってくれと言い残した人なのだそうです。

ここの人も、生家の人も、私が日本人だと言うと、とても嬉しそう。

カナダ プリンス・エドワード島の「赤毛のアン」博物館でサインしてもらった本
サインしてもらった本

思い入れの深い日本人が多数、訪れていることが伺えました。

「赤毛のアン」は確かに、ウン十年前の私の生活で大きな部分を占めていた小説でしたが、ずいぶん前に読んだものなので、詳細は憶えておらず、なんだか、申し訳ないような気さえしました。

日本では「赤毛のアン」はアニメにもなりましたね。

夫は、輸出されたそのアニメで「赤毛のアン」を知っていたのでした。

この博物館では、モンゴメリーが一番、楽しんで書いたという小説「ストーリー・ガール」を買いました。

すると、ここの人が「私も彼女の遠い親戚だから」と言って、サインしてくれました。

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