エディンバラの墓場ツアーに参加してみる

エディンバラの墓場ツアーに参加してみる

【2021年6月】スコットランドのエディンバラでの滞在、翌日は夜になって、墓場ツアーに参加しました。

その名も「City of the Dead (死人の町)」というツアー会社がやっているウォーキングツアーで参加費は一人£14(2200円弱)。

セント・ジャイルズ大聖堂脇の墓場ツアーの集合場所
この木の下に集合して出発

数あるツアーの中で、なぜこれを選んだかというと、ガイドブックに「おそらくエディンバラのゴースト・ツアーの中で、最も怖い」と形容してあったからです。

目的地である墓場、グレイフライヤーズ・カークヤードそのものが名所らしいので、一挙両得だとも思いました。

ちなみにカークヤードのカークはスコットランド語で教会のことです。

ツアーは午後9時に開始。

この日の日没は9時50分なので、まだ明るい時間です。

旧市街の目抜き通りロイヤルマイルのセント・ジャイルズ大聖堂脇にある一本の木が待ち合わせ場所で、18人のツアー参加者が集まりました。

墓場ツアーで訪れたグレイフライヤーズ・カークヤード
20万~30万人の死体が埋まっているというグレイフライヤーズ・カークヤード

ガイドはいかにも古着らしい黒いレザーコートをまとい、ひげを生やした細身の男性で、グランという名前。

一見、やや浮浪者ふうです。

これも演出かもしれませんが。

ロイヤルマイルの南に位置しているグレイフライヤーズ・カークヤードの敷地に入って、まず墓地の説明から。

著名人だけでなく、近所にあるグラスマーケットで公開処刑された犯罪人も埋められている墓地で、残っている墓石は約500基。

埋まっている人の数は20万から30万人にも上るそうで、我々が立っていた地面のどこでも、180センチほど掘ると必ず、死体に行き当たるそうです。

墓場ツアーで説明されたJohn Porteous の墓石
リンチで殺されたJohn Porteous の墓石

この墓場でポルターガイスト現象が起こるのは確からしく、あまりに騒がれるので自治体が一部を閉鎖しようとしたところ、グランのボスが交渉して、ツアー客を案内する形で入場の許可を得たと言っていました。

かなり豪華な墓石が並ぶ中、グランは地味な墓石の前で立ち止まり、説明。

背景説明などいろいろあったのですが、ざっくり言うと、John Porteous という18世紀初頭の衛兵が市民の暴動に発砲したかどで死刑を言い渡されたのですが、結局、市民の激しいリンチにあって死んだという話。

その衛兵の墓でした。

立派な墓石が並ぶグレイフライヤーズ・カークヤード
凝った墓石もたくさん

その話より面白かったのは、グランが説明しているところへ、二人の与太者が寄ってきて、彼に何やら言い始めました。

なんと言っていたのか聞こえなかったのですが、グランは危険を感じたようで、警察に通報していました。

彼が警察と話し始めると、与太者たちは去っていきましたが、グランは本当に怖いと思ったらしく、その後も振り返って、誰もいないことを確認していました。

以前にもウォーキングツアーのガイドが与太者を追い払う場面に出くわしたことがありますが、結構、例のあることなのでしょうか。

墓場ツアーで入ったカヴェナンターの牢獄
普段は閉ざされているカヴェナンターの牢獄

そして、自治体が閉鎖した部分にカギを開けて入りました。

この部分は、17世紀後半に長老派教会を支持したカヴェナンターと呼ばれる人々が弾圧された際、約400人が投獄された場所で、「カヴェナンターの牢獄」と呼ばれています。

当時は墓場ではなかったのですが、寒空の中、この空間に押し込められた人々の多くは寒さで死んだとのこと。

18世紀になって墓場と合併し、細長い敷地にアーチ形の納体堂などが並びました。

グランは、その納体堂の一つに我々を入れて、ろうそくを灯して、今度は法律家だったジョージ・マッケンジーの墓が荒らされた話などを効果たっぷりに披露。

墓場ツアーのみ入れるカヴェナンターの牢獄部分
カヴェナンターの牢獄は細長い敷地

おどろおどろしい話でしたが、怖いと感じるほどではありませんでした。

何しろ、彼のスコットランド訛りの英語を聞き取るのに必死でしたから。

このツアーに一人、10歳ぐらいの子供が参加していたのですが、利発な子で、グランの言うことに的確に反応して、ツアーを盛り上げていました。

墓場ツアーのガイド
マッケンジーの墓の前で説明するグラン

「カヴェナンターの牢獄」の部分から出て、実際にマッケンジーの墓の前に立ってみた時でしたか、この子供があらぬ方向を見て凍り付いていました。

それを見た時が一番、怖かったかな。

この子はいったい何を見たのでしょう・・・。

ツアーが終わったのは10時半過ぎ。

それでも、まだ、真っ暗というほどには暗くありませんでした。