ラーワルピンディーの混沌

ラーワルピンディーの混沌

【1996年9月】40日を超える長期に渡った中国パキスタン旅行も終盤です。

パキスタン北部のギルギットでの最終日には、初日に行ったティールームを再訪。

お爺さんが、我々がまた訪れたので喜んでいました。

パキスタン ギルギット ティールーム お爺さん お茶を入れる
二度行ったティールーム

今回は他のお客さんも数人いて、中の一人が泊まっていたホテル、North Innのマネジャーさんの弟と判明。

彼はイスラム教を勉強して博士号まで取りましたが、国内では職が見つからず、時々、ツアーガイドをしているという話でした。

とても感じの良い人々と和やかなひと時を過ごしました。

お昼に入ったレストランは旅行者御用達で、ドイツ人団体が入っていましたが、このイスラム国の環境の中で、ノースリーブにショーツのおばさんもいて、びっくり。

団体だと怖い目にも合わないのでしょう。

そして、午後5時の夜行バスに乗り込みました。

ギルギット滞在の後半には、相次いで、親切で感じの良い人々に会ったおかげで、最初に持った悪印象もかなり改善されました。

さて、乗ったNATCOバスはイスラマバード行きです。

14~17時間かかると聞いていましたが、夜行なので眠っていれば着くと軽く考えていました。

ところがこれは大間違い。

カラコルムハイウェイを下るのですが、道が曲がりくねっている上、道路の状態も良くなく、揺れまくって眠るどころではありません。

夜なので、景色も良く見えないのですが、月明かりの下、物陰に目を凝らすと、恐ろしい崖っぷちを走っているのが分かります。

パキスタン ラーワルピンディー 町 通り 人々 車 自転車
ラーワルピンディーの町なか

危なげな橋も二度ほど渡ったようです。

深夜になると、眠気と揺れとの格闘。

下り坂のせいか、椅子からずり落ちそうにもなります。

苦しい一夜の16時間の末、朝9時ごろイスラマバードに着きました。

泊まったのはその隣町のラーワルピンディーです。

そこへ行くのに使ったタクシーの運転手、乗る時に値段を聞くと、「お好きな値段で」と禅問答。

で、結局、支払う段になって、ひともめしました。

Paradise Inn というホテルだったのですが、部屋がベーシック(900ルピー:当時、1ルピー=約3円)だったのはともかく、一つ頼んだ物を二つ持ってきたうえにチップを請求するというその態度にうんざりしました。

けれど、もう旅の終わりで、ホテル探しに力を注ぐ気力もなく、ここに2泊した次第です。

それに、何しろ暑いのでまいりました。

さて、ラーワルピンディーで面白かったのは、ラジャ・バザール

「スズキ」に乗って行ったのですが、運転手の横に二人ぎゅうぎゅう詰め。

パキスタン ラーワルピンディー バス 装飾過多 人々
着飾ったバスと人々

そして道中も着いた先もこの上ない混乱です。

道には車、ロバ車、大荷物を積んだ荷車を引く人、自転車、バイク、人々が右往左往。

水道管が破裂したらしい所では、お巡りさんが交通整理に当たっていましたが、殆ど誰も従いません。

バザールも無秩序(とはいえ、生地屋、靴屋、家庭用品屋など、アイテム毎に店がかたまっていました)。

人がうようよいて、しかも8割がたは男です。

建物はどれも崩れ落ちそうな状態。

それでも、人々は割とフレンドリーで、ギルギットの初日に感じたような怖さはありませんでした。

パキスタン ラーワルピンディー 通り 人 車 馬
暑くて重たい空気の中の混雑

一軒の店で刺しゅう入りのショールをお土産用に購入。

最初の言い値が一枚450ルピーだったところ、交渉の末、4枚で1300ルピーにまで下がりました。

今回の旅で私が身に付けたモノの一つが、言い値では買わないという習慣でしょう。

それから、タクシーの運賃などでもめた際も、男性である連れではなく、私がびしっと言うことで、事がこちら優位に収まることもまま、ありました。

この国の人は、外国人の女性に強く言われることがあまりないのか、びっくりして引くようでした。

そうそう、イスラマバードにあるLok Virsa Museum というパキスタン各地の工芸品を展示している博物館にも行きました。

パキスタンのテキスタイルは織物より、刺繍がスゴイです。

パキスタン イスラマバード Lok Virsa Museum 半券
博物館のチケットの半券

一見、プリントのように見える細かい模様の布が、近づいてみて全部刺繍だと分かって驚くことも。

ただ、割れたガラスケースにセロテープが貼ってあったり、説明も不足していたりと改善の余地を感じました。

入場料がたった10ルピーだったのですが、これをもう少し高くして、メインテナンスの資金を調達すればいいのにと思ったほどです。

そして翌日、とうとう旅の終わりです。

首都にしては質素な空港から、パキスタン国際航空でロンドンに飛びました。

乗ったとたん、パキスタン人が席のことで言い争っているのを目の当たりにして、「ああ、この人たちはやっぱり『スズキ』の人々で、飛行機には向いていないんだなあ」と思ったことでした。