【2019年12月】熊本市役所の14階から下りた後、熊本城の脇をぐるっと歩いて熊本県伝統工芸館へ向かいました。
工事中の天守閣のほか、地震などの被害をあまり受けなかったという宇土櫓だと思われる建物が間近に見えました。
工芸館は熊本県の工芸家の作品を展示する場所として提供されているところですが、私達の目的は工芸ショップ「匠」。
熊本県にどんな工芸品があるのか一目で見られます。
17世紀前半からの歴史があるという肥後象嵌が豪華で素敵でしたが、高価でした。
黒い鉄地に金銀の装飾がされている物で、スペインでよくみられる象嵌細工を思い出しました。
江戸前期に作られ始めたという手毬もかわいかったです。
私達が買ったのは、いぐさでできたランチョンマットです。
熊本県の八代地方は日本一のいぐさの産地だとかで、明治時代から織られているのだとか。
友達は和ろうそくを買っていました。
こちらも18世紀半ばからの歴史がある工芸だそうです。
工芸館では無料でお茶が飲めたので、ここで一休みし、次に小泉八雲の家を目指すことに。
途中に、彫像がたくさん立った公園があったので寄ってみました。
すると、ここで絵葉書を売っていたおじさんが少しばかり歴史の講義をしてくれました。
正直、私は学生時代から日本史は苦手だったので、ぴんと来ないことも多かったのですが、へえ、と思ったのは、西郷隆盛の先祖は熊本の人だったそうです。
それから西南戦争の際、熊本には東京から派遣された人々が来て薩摩と戦ったそうで、一般市民は薩摩派だったのだと言っていました。
お礼に絵葉書を一枚、買いました(200円)。
そして小泉八雲の家へ。
無料で入れました。
ここでは今度は館長さんが出てきて、いろいろ説明してくれました。
前日の三角西港でもそうでしたが、熊本県には話好きの親切なおじさんが多いようです。
本名をラフカディオ・ハーンという小泉八雲は1850年にギリシャで生まれ、アイルランドで育った作家です。
4歳の時に、母は夫の浮気で精神を病み、子供を置いて一人でギリシャに帰ったそうです。
以後、ラフカディオは伯母に育てられたといいます。
彼は背丈が157センチほどと小柄で、左目がつぶれていたために、写真ではいつも右側の横顔を見せていたのだとか。
ジャーナリストだった彼は、本の題材になると思って来日したという話でした。
熊本には1891年に高校の英語教師として来て、3年ほど過ごしたとのこと。
その時の月給が200円、今のお金にして200万円近くだったといいます。
三角西港のオランダ人ムルドルさんも異常な高給取りでしたが、当時の明治政府の姿勢がうかがえます。
ちなみに、小泉八雲の後釜として就任したのが夏目漱石なんだそうです。
この館長さんの話で、もう一つ面白かったのは、明治時代まで熊本が九州の中心だったということ。
中心地が福岡に移ったのは、大正時代だという話でした。