【1999年5月】翌日は、イランの首都テヘランを出て北西へ向かいました。
ほとんど丸一日、ドライブです。
市街地を出ると、辺りはすぐに砂漠風に。
一山越えた辺りで小休止です。
ペルシャ絨毯柄のマットを敷いてお茶を飲みました。
イランでは角砂糖をちょっと紅茶に浸して口に含み、それからお茶を飲む、とガイドブックに書いてあるのですが、運転手のアリがその通りにするので、真似して、以降、ずっとこの形でお茶を飲みました。
甘さが染み渡って、美味しいのですよ。
さらに進んだ先の山小屋風の小さな食堂で、外の木陰にテーブルを持ってきて、ここでランチ。
イランに来てから食事はいつもケバブで、ここでもケバブでした。
ケバブは好きなので、いいのですが。
今回はチキンが美味しかったです。
羊のヨーグルトも出ましたが、酸っぱすぎて私にはどうも・・
この辺りの景色は、中国のトルファンを思い出させます。
山肌はベージュですが、谷は深緑色。
気持ち良い風が吹いていました。
食後、車の中でしばし眠り、はっと目覚めたら、辺りの景色ががらっと変わっていて、水田風景になっていました。
こうなると、もうほとんど、日本の田舎です。
女たちが一列に並び、身をかがめて田植えをしているその様子は、しばらく住んだ日本の滋賀県でも見ました。
さすがに働く人々はチャドルは着ておらず、ズボンの上にスカートを履いたようないで立ちでした。
その後、ラシュトという割と大きい歴史的な町を通りましたが、ここでは停まらず、ラヒジャーンという紅茶の産地で一休み。
ここでまたお茶を飲みました。
イラン人のお茶好きは、英国人をも超えるかもしれません。
聞くところによると、そもそもはコーヒー派だったペルシャの人々は15世紀後半辺りから紅茶派に変わったとか。
お茶の葉の方が、コーヒー豆より輸入しやすかったからというのが理由のようです。
自国でお茶を栽培するようになったのは、20世紀初頭になってからだそうです。
運転手のアリはこの町で、お米を買っていました。
アリはその昔、空軍のパイロットだった人で、50歳。
1979年の革命以前に、戦闘機ファントムの操縦訓練のために米国にも行ったことがあると言っていました。
なので、割と英語も話せて、ガイドのハリルとともに、二人から話が聞けてラッキーでした。
この日の目的地はバンダレ・アンザリーというカスピ海に面した港町です。
ここに行き着くまでに、洪水があり、延々遠回りして宿り着きました。
夕食はホテルのレストランで、久々に魚のフライ。
魚の名前は不明ですが、美味しかったので良しとします。
ハリルがキャビア用のチョウザメのケバブを食べていて、一つ試しにもらってみましたが、身が締まっていて肉のような硬さでした。
そして、ラウンジでまたお茶。
アリとハリルがホメイニ師に関する意見を戦わせていました。