【2022年4月】ブルガリアのプロヴディフでの二日目は、この近所の観光名所であるバチコヴォ僧院に行くことにしていました。
前日、観光案内所で11時のバスがあると聞いていたので、それに間に合うように出かけました。
ホテルがある旧市街の目抜き通りSaborna通りを下り、前日歩いたKnyaz Aleksandar I 通りを中央広場まで歩き、そこからは新市街の大き目の通り、Ivan Vazov 通りをずんずん歩きました。
バチコヴォ僧院へのバスが出るバスステーションは鉄道駅の向こう側にあるRodopiバスステーションです。
鉄道駅の手前にもYugという名のバスステーションがありますが、ここではないので要注意。
前日は、Knyaz Aleksandar I 通りを歩きながら、セルビアのノヴィ・サドを思い出したのでしたが、この日はIvan Vazov 通りの様子がウクライナのキエフ(今はキーウですね)の街並みに似ているなと思いました。
どちらも東欧の文化圏だから、似ているのも当然なのですが、やはり、目に飛び込んでくる文字がキリル文字であることが大きいのだな、と思い当たりました。
そしてぼんやりと、どうしてロシアのキリル文字は、ルーマニアを飛び越えてブルガリアに入ってきたのだろうと考えていたのですが、はたと、ブルガリアが発祥だったことを思い出したのです。
というのも、昔、ツアーでこの国を最初に訪れた時に、ヒサリャという町に一泊したのでしたが、たまたまキリル文字の発明にちなんだ文化の日のお祭りに出くわしたのでした。
そこで復習したのですが、キリル文字はギリシャの宣教師兄弟、キリルとメフォディが編み出した文字から発展した文字ですが、発展させて定着させたのは、兄弟の弟子たちで、その場所はブルガリアだったのです。
10世紀ごろの話だそうです。
ここからスラブ系の正教国に文字の使用が広まったのですね。
ネット情報によると、ルーマニアももともとはキリル文字を使用していたそうですが、19世紀に民族主義運動が高まってラテン文字に代わったとのこと。
最初にキエフ(キーウ)を訪れた時に、キリル文字を考案した兄弟の像を見たのを思い出しました。
さて、そうこうするうちに、鉄道駅にたどり着きました。
ここから、どうやって線路の向こう側に行くのかわからず、しばし立ち往生。
駅構内の切符売り場の人に尋ねて、地下を通って行くことが判明しました。
この地下街、薄暗い通りに小売店が並んでいる様子が東欧らしさを醸し出していました。
着いたバスステーションはなかなか立派。
ただ、11時発と聞いていたバスは、実は11時半発でした。
バスの切符売り場の窓口で、夫が何度か「往復切符」と言ったのですが、まる無視され、座席指定の片道切符を渡されました。
お値段は一人、6レフ(430円ほど)。
1番乗り場に来たのはミニバスで、人が並んだので一緒にならびましたが、切符を持っている人はさっさと乗り込んでよいことがしばらくして分かりました。
小さいこのバスは満席。
ほとんど誰もマスクはしていません。
夫が調べたところ、ブルガリアは新型コロナの感染率も低いけれど、ワクチン接種率も低いとのことです。