アレンテージョの白い壁 その4

修道院だったホテルの朝食は、中庭に面した廊下を部屋にしてあるスペースで食べた。

何部屋あるのか知らないが、お客さんは結構、入っているようだ。

特にフランス人が目に付く。

リスボンのホテルの人も流暢にフランス語を話していたし、フランスとポルトガルって何か深い関係でもあるのだろうか。

食後のちょっとホテル内を見学。

私の部屋は離れみたいな形だが、母屋では修道女の個室がそのまま客室になっているらしかった。

この日は丸一日、エヴォラ探索。

観光案内所でもらった地図に沿って歩き回った。

小さい街だから、あっという間だろうと高をくくっていたら、侮れない距離。

シンプルな道筋だが、この町、どこも白壁に黄色の縁取りの家にはさまれた狭い通りばかりで、坂もかなりあり、何度も迷いそうになった。

けれど、やり遂げた。

ポルトガルに着いてから晴天続き。

空の青と白壁のコントラストの強い写真が撮れた。

何気なく入った教会の壁がぎっしりタイルに覆われていたのには驚いた。

リスボンやポルトとは異なり、外壁にはタイルがないが、民家も内部はタイルづくしなのかも。

これってイスラムの影響なのか、無関係なのか・・?

リスボンのお兄ちゃんに教わった店は冬休み中と判明し、代わりにRistaurante Cozinha de Santo Humberto というたいそうな名前の店に入った。

スペインのウベダで入ったレストランを思い出した。

だいたい町の感じも少しばかりウベダに似ている。

さて食事。

まず、何も言わないのに前菜が三皿も出てきた。

魚の卵の料理がおいしくて、生真面目そうなウエイターに尋ねたら、図鑑のような本を持ってきて、こんな魚の卵だと示してくれた。

基本的にたらこの類。

メインはごはんとダックの肉が混ざったものをオーブンでベイクしたらしい不思議な、重たい料理。

これがここのお勧めらしかった。

味はいいが、何しろ重い。

デザートのスポンジケーキも重たかった。

甘いもの好きのこの国の人の置き土産がカステラというのも納得できる話。

カステラという名前は何かの間違いだと思うが。

--重たい、重たいと言いながら、3コースきっちり食べるワタクシ・・。

デザートワインにポルトも一杯飲んだ。

食後は重たいおなかを抱えて、宿の近所のカテドラルやパレスを見学。

カテドラルには日本語で「1584年9月8日、伊東スケマツ、原中務、中浦じんごろう、ともう一人の4人の日本からの初の使節がエヴォラに到着し、ここで、当時欧州でも珍しかったパイプオルガンの演奏を聞いた」と書いてあった。

日付まできちんと入っているのを見て、教科書の中の名前でしかなかった使節の人たちが急に生々しく感じられ、そこはかとない感動を得た。

ちなみに、「もう一人」というのは千々石ミゲル。

キリスト教を捨てた人だから名前が記されていないのかな?検索したら幼少時の本名は知られていないということだが。