【2013年5月】北ウェールズのコンウィに来たのは、これで三度目ですが、この立派なお城がイングランドの城だとは知りませんでした。
てっきりウェールズのお城だと思っていました。
イングランド人のツアーガイドは、「13世紀のイングランド王、エドワード一世は、欧州諸国にあれこれ攻め入られるのに飽き飽きして、ウェールズとスコットランドと一致団結しようと思い、それぞれに呼びかけたが断られたため、武力行使に踏み切った」と言っていました。
その結果、ウェールズは1282年にイングランドに破れて、支配下に入ったとのこと。
この城は、その後、イングランドの要塞として建てられたそうです。
エドワード一世は跡継ぎ息子にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与え、ここの統治者としたといいます。
そして、今も一番目の王位継承権を持つチャールズ皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを名乗っています。
それにしても、もしもガイドがウェールズ人だったら、まったく違った説明だったろうなと思います。
ふだん、英国は一つの国のようですが、こういう場面に合うと、「連合王国」というのがひしひしと感じられます。
ウェールズは自国の言語も持つ、一つの国なんですねー。
エドワード一世はスコットランドにも何度も攻め入っていて、ガイドは「イングランドが嫌われる元になった張本人」と言っていました。