サンクトペテルブルク観光の始まり

サンクトペテルブルク観光の始まり

【2017年8月】ロシアサンクトペテルブルクからモスクワへのクルーズの旅の始まりは、サンクトペテルブルクの観光でした。

停泊した船に泊まりながら、バスで市内に行きます。

その前に船の朝食について一言。

私は、ウクライナに行った時に体験したような、野菜が細かく切られた幾種類ものサラダなど、ロシア風の朝食を期待していたのですが、至極ふつうだったので、ちょっとがっかりでした。

あと、コーヒーがまずかったのが残念。

朝食の後、ランチボックスを受け取ってバスへ。

80人のツアー客が三台のバスに分乗したのですが、それぞれのバスに船専属のロシア人ガイド一人と、地元のガイドが付きました。

私達のバスには、船専属のナターシャと、米語を流暢に話すヴラッドが乗り込みました。

市内の見どころに着くまでかなりあったので、ヴラッドがロシアのアネクドートを披露。

例えば、お金があってもなかなか車が買えなかったソ連時代のこと。

車のデポジットを支払ったイワノフさんは、係の人に「じゃ、10年後に」と言われました。

イワノフさんは「それはいいが、10年後のこの日の午前ですか?午後ですか?」と尋ねました。

並んでいた列の後ろの人に「10年先の日の午前か午後かなんか、どうでもいいじゃないか」と言われると、イワノフさんは「でも、午前には水道屋さんが来るんだ」。

こういうアネクドートで笑って、ソ連人は苦難を乗り越えたという話でした。

それから、ヴラッドによると、プーチン大統領が初期の人物からすり替わっているという噂が国内では絶えないのだそうです。

プーチン大統領は、KGB時代ドイツに赴任していてドイツ語がペラペラのはずなのに、近ごろは一言もドイツ語を話さないこと、耳の形が以前と異なると言われていることなどが噂の原因だそうです。

もちろん、サンクトペテルブルクの歴史の話も聞きました。

ざっくり言うと、スウェーデン軍を破ったピョートル大帝が18世紀初めに、沼地であったこの土地に人工的に築いたのがこの町なのだそうです。

つまり歴史の浅い町であるということで、そのことにも驚きましたが、「スウェーデンって案外、強力だったのだなあ」と感心。

あまり歴史の時間に登場しなかった気がするのですが、今年5月に行ったチェコのブルノで聞いた戦争の話の戦闘相手もスウェーデンでした。

欧州の歴史は複雑で、知れば知るほど興味がわきます。

さて、最初にバスを降りて見学したのは、スモーリヌィ大聖堂でした。

18世紀に修道院として建てられ、後に女子教育の場となったところだそうです。

設計したのは、有名なエルミタージュ美術館が入っている冬の宮殿も建てた、イタリア人建築家のラストレッリという人。

イタリア人という割にイタリアの建物とは全く異なっていて、ロシア独特のパステルカラーと白の組み合わせが美しい建物でした。

ソ連時代にはコンサートホールとして利用されたそうで、1991年以降にまた、教会として復帰したとか。

そのせいか、中はがらーんとしていて、あまり重みが感じられませんでしたが、そんな中でも信者がロシア正教の祈り(立ったり、かがんだり、イコンにキスしたり)を捧げていました。