ソ連時代のモスクワ4

ソ連時代のモスクワ4
モスクワでは、その他、いろいろな細かいことが西側と異なっていて、驚きました。
例えば新聞です。

新聞は基本的に無料で、多くの人が持ち歩いていました。

明らかに、書いてある内容には厳しい管理がされていたのだと思いますが、情報を知りたいと思う人はすべて、無料でそれを得られたのです。

もちろん、これはインターネット以前の話で、現在でこそ西側にも無料新聞が出回っていますが、当時は考えられないことでした。

その頃の私は、ジョギングに熱を入れていました。

アマチュアでしたが。

そのせいか、モスクワの町中では、ジョギングをする人が目に付きました。

ジョギングだけでなく、あらゆる種類のスポーツが促進されていて、これまた基本的に無料だと聞きました。

それから憶えているのは、夜遅くに若い女性が地下鉄に乗っていたことです。

中にはミニスカート姿の人もいて、しかも一人だったりしました。

私の国では、夜もふけて女性が一人で歩くなど危なくて、あり得ないことです。

地元の人々は、モスクワにはそういった危険は全くないと言っていました。

ある晩、私たちは当時のモスクワには珍しかったイタリア料理店で働いていたイタリア人に出会いました。

一緒に食事をしたのですが、彼が言うには、モスクワでは二つの世界が平行して同時進行しているという話でした。

表向きには許されない様々なもの、アルコールや売春、麻薬など全てを買うことが可能なんだそうです。

もちろん、危険が伴うし、非常に高価で米ドルのみで取引されているとのことです。

普通のツーリストや訪問客の目には見えない現実だと言っていました。

彼が言ったことが真実かどうかは分かりませんが、火のないところに煙は立たないと言いますからね。