ブエノスアイレス市内観光--ファンジオ、リベンジ、そしてバラ園

ブエノスアイレス市内観光--ファンジオ、リベンジ、そしてバラ園

【2018年3月】アルゼンチンブエノスアイレス市内観光も終盤に差し掛かりました。

ランチの後は、新再開発地区であるプエルト・マデロ地区をドライブ。

この辺りの高層ビルはすべて、28年前以降に建てられたものだそうです。

一角にベンツのオフィスがあり、その前にカーレーサーのフアン・マヌエル・ファンジオ・デラモの像がありました。

私は全く知らない人でしたが、夫が良く知っていたので、車を降りて、像と一緒に記念撮影しました。

ファンジオは1911年生まれで1995年に死亡。

フォーミュラ1で5回も世界チャンピオンになった伝説の人で、「アルゼンチンの英雄」とみなされているのだそうです。

それから、レティーロ地区にあるカヴァナー・ビルを見上げました。

サン・マルティン広場に面したこのビルには逸話があります。

ある大金持ちの家族がこの広場の反対側に屋敷を構えているのですが、この家の三人息子の一人が、成金女性と恋仲になりました。

けれど、息子にふさわしくないとして、母親が仲を引き裂きました。

怒った成金女性がリベンジのために、家族が通っていた美しいバジリカ・デ・サンティシモ・サクラメント教会の真ん前に、この大きいばかりで見栄えのしないカヴァナー・ビルを建設。

以前は家族の屋敷から教会が望めたのですが、このビルのせいで見えなくなったという話です。

カヴァナー・ビルは高さが120メートルあり、1936年に建ち上がった時点ではラテンアメリカで最も高いビルだったのだそうです。

この逸話には、いくつかヴァージョンがあるようで、前回のブエノスアイレス訪問時にも似た話を聞いた覚えがありますが、女性の確執だったとは知りませんでした。

ガイドブックによると、この成金さんは、アイルランド人だったらしいです。

最後に行ったのは、パレルモ地区にある2月3日公園内のバラ園、El Rosedalです。

2月3日公園は広大で、バラ園だけでなく、ボートを漕げる池や日本庭園、プラネタリウムもあります。

もともとはフアン・マヌエル・デ・ロサスという19世紀のブエノスアイレス州知事で独裁者になった人の個人の庭園だったのだそうです。

彼が、腹心の反乱で戦いに敗れた日が、1852年の2月3日なので、この名前がついているとのこと。

それほどの嫌われ者なのかと思ってネットで調べたところ、評価が分かれる為政者らしいです。

ただ、ブエノスアイレス市内に原住民のインディオがいないのは、この人が1830年代に起こした作戦で、すべてがブエノスアイレス州から追い出されたからだそうです。

この作戦中に、何千人ものインディオが殺されたとか。

バラ園の一角に、前日ガウチョの牧場で見た大きなオンブ―の木がありました。