人口: 約300万人

市外局番: 011

面積: 203平方km

ブエノスアイレスは、ご存じアルゼンチン共和国の首都として有名な、南米随一の大都市です。

東側にはラ・プラタ川、南側にはマタンサ川が流れ、また西側には残りの境界を取り巻くように全長23kmの環状高速道ヘネラル・パス通りが走ります。

アルゼンチンには23州ありますが、ブエノスアイレスは唯一、どの州にも属さない自治都市です。

ブエノスアイレスの歴史

1536年にスペイン人の探検家によって建設されたのが起源と言われていますが、先住民族による猛攻を受け、一度放棄された町を再び建て直したのが1580年のこと。

以降、領土獲得遠征の拠点の町として機能し始めますが、当時の人口はたった500人ほどだったそうです。

今や都市圏の人口は1600万人にまで及びますので、凄まじい急成長ぶりだったことが伺えます。

ファン・デ・ガライ率いるヨーロッパ人植民団は、領土を129メートル四方のマス目に区切り、一マスの四方を10mほどの幅の道で囲むという形でこの町を建設していきました。

町の中央に置かれたのが、現在の五月広場であり、商業・経済活動がここから発展しました。

五月広場の周辺には今も、当時のまま残されているものが数多くあります。

例えば、広場に面する大聖堂は1593年に作られ、18世紀に建て直されたものだし、ブエノスアイレス市参事会も1608年に建てられたものが1725年から1765年の間に再建築されたものです。

そして19世紀後半には、ブエノスアイレスは旧市街を中心に半円の形で街をどんどん広げていき、徐々に現在の街の姿になっていったといわれています。

1776年、リオ・デ・ラ・プラタ副王領が設置されると、ブエノスアイレスは副王領の州府となりました。

その2年後、スペインが支配を緩め商業の自由が拡大されると、ブエノスアイレスの港も、取引量に見合うように拡大され、南米の中でも最大の貿易量を誇る重要な貿易港となったのです。

そんな急成長を遂げるスペイン領に対し、当時敵対国であったイギリスが1806年から1807年にかけて攻撃を繰り返しましたが、ブエノスアイレスはこれを見事に撃退します。

そしてついに、1816年7月9日、スペインがブエノスアイレスを首都に定めたリオ・デ・ラ・プラタ連合州(アルゼンチンの前身)の独立を認め、独立宣言がなされました。

その後、19世紀後半から20世紀にかけ、アルゼンチンが門戸を開いたことで、ヨーロッパ(主にイタリア)からの移民が大量に押し寄せた結果、現在のアルゼンチン人口のうちおよそ2500万人がイタリア系の祖先を持つといわれています。

20世紀後半、この国の政治は混乱期に入り、経済に悪影響が及ぼされ、市民は生活の不安に陥れられました。

特に、フアン・ペロン大統領の死後、彼の三番目の妻で同国初の女性大統領となったイサベル・ペロンが1976年の軍部によるクーデターによって失脚すると、左翼思想を持つ過去の政敵に対する徹底的な追及と弾圧が始まりました。

何千人もの人々が当時の軍政府当局に投獄され「失踪」しました。

逮捕後、彼らは拷問を受け、そして抹殺されたと言われます。

こういった悲劇的な被害者はアルゼンチンでは「Los Desaparecidos (失踪者)」と呼ばれています。

こうした政治の混乱は、1983年に民主主義が復活するまで続いたというのですから、驚きです。

2000年代に入ると、世界的な経済危機のあおりを受け、アルゼンチンは対外債務の返済が不可能となって債務不履行に陥り、劇的な通貨切り下げやインフレの急騰に直面します。

アルゼンチン経済の崩壊ともいえるこの状況がゆっくりと改善し始めたのは、2003年にネストル・キルチネルが大統領に選出されてからのことです。

巧妙な交渉技術や財政改革が奏功し、特に富裕層優遇の停止貧困の救済社会的不正の根絶などに務めたことで、混乱を極めたアルゼンチン経済が少しずつ持ち直し始めました。

ブエノスアイレスの見どころ

ブエノスアイレスの街には、様々な記念建造物、博物館、教会がありますが、中でも19世紀初めに建てられたメトロポリタン大聖堂や、ラテンアメリカの最新アートを展示するラテンアメリカ芸術博物館などが代表的です。

芸術鑑賞に興味のある方であれば、『MNBA(Mueseo Nacional de Bellas Artes)』の愛称で親しまれる国立美術館もおすすめです。

ここではアルゼンチンゆかりの芸術家だけでなく、ヨーロッパの芸術家たちによる作品の数々を多く鑑賞することができます。

他にも見逃せない観光スポットをいくつか紹介します。

まずは、ピンク色の外壁が目を引く、一風変わった大統領官邸、カサ・ロサダ(通称ピンクハウス)。

言い伝えでは、連邦主義派の赤と中央集権主義派の白の間の色を取ってピンクにしたと言われていますが、真偽のほどは置いておいても、いまやアルゼンチンで最も有名な建物と呼ばれるほど人気観光スポットとなっています。

また、1923年に完成したバローロ宮殿は、ダンテの『神曲』をテーマに造られた壮大な建造物です。

イタリア移民の実業家ルイス・バローロが同じくイタリア人建築家のマリオ・パランティに設計を依頼して建てられたもので、『市内で最も高いビル』の座は1935年に他に譲りましたが、今も国内随一の歴史的価値のある建物とみなされています。

他にも、巨大な建物の中央郵便局、1936年3月に建てられ67.5メートルの高さを持つオベリスクのある共和国広場、高さ23メートルの大きな花びらの形をしたフロラリス・ジェネリスというオブジェがあるナシオネス・ウニーダス公園など、数えきれないほどの見どころが街のいたるところにあります。

ブエノスアイレスの交通機関

ブエノスアイレスに来てまず驚かされるのは、その交通網の豊富さです。

現地で『Subteスブテ)』と呼ばれ親しまれる地下鉄には、およそ40kmの距離を網羅する6路線が運行しています。

1913年に開通した最古の路線『Linea A(A線)』は現在でも当時の車両をそのまま使っているため、地下鉄そのものが見どころの一つ。

また、街の北と南をつなぐ総延長7.4kmのプレメトロと呼ばれるトラムもあり、地下鉄のE線に接続しているので、何かと便利です。

一方、ブエノスアイレス市民が最も一般的に使用するといわれているのが、コレクティーボと呼ばれる市内バスで、約180の路線を24時間営業で提供することから、まさに「市民の足」となっています。

ブエノスアイレスを出て、郊外を訪れたい場合は、地元の通勤者向けに運行されている近郊鉄道が便利。

また、街の中心レティーロ地区にあるバスターミナルから出る長距離バスは、アルゼンチン国内の諸都市だけでなく、ボリビア、ブラジルチリ、パラグアイやウルグアイといった近隣諸国を結んでいます。

タクシーについては、数が多く、簡単につかまえられて便利ですが、これに加え、ブエノスアイレスには独特のタクシーサービス『REMISレミース)』と呼ばれるものがあります。

これは、登録制のハイヤーのようなもので、通常のタクシーと比べると安全なため、利用価値は十分ありますが、事前の電話番号での登録と予約が必要なのでやや面倒です。

さらに、船のルートも様々あります。

プエルト・マデーロ地区に向かえば、他の南米諸国(例えばウルグアイの世界遺産、コロニア・デル・サクラメントなど)までフェリーで簡単に渡ることができます。

また、南米各地を結ぶクルーズ船が寄港するのは、レティーロ地区にあるベニート・キンケラ・マルティン港です。

そして忘れてはいけない空港についてですが、代表的なのはやはりブエノスアイレス郊外のエセイサにあるミニストロ・ピスタリーニ空港でしょう。

ラテンアメリカで最大級のこの空港では、ブエノスアイレスと世界中の主要都市を結ぶ飛行機が日夜運行しています。

街の中心からは37kmほどしか離れておらず、ライオンマークが目印の市民バス『Manuel Tienda Leon』やタクシーを使えば40分ほどで着きます。

86番の市街バスでも行けますが、二時間ほどもかかるので要注意です。

さらに市街地から4キロと近いところにはホルヘ・ニューベリー空港があります。

ここからは、国内線や近距離国際線が飛んでおり、南米各地を旅行したいという方にはこちらも便利です。

ブエノスアイレスの気候

ブエノスアイレスの気候は典型的な亜熱帯気候で、温暖湿潤として知られています。

ただし、南半球にあるため日本とは季節が逆だということをお忘れなく。

一番暑いのは1月ごろで、気温は18度から最高30度ほど、一方で一番寒いのは7月ごろ、気温は7度から17度ほどです。

雨が降るのは年間平均100日ほどで、年間降水量は約1214mm。

中でも10月から3月の間に比較的多く雨が降ります。

半面、一番、雨が少ないのは6月です。