【1999年5月】僻地を巡ったイラン旅行、この日は移動の日でさして、めぼしい観光はないはずでしたが、かのホメイニ師の生家でちょっと面白いことがありました。
ホメイニ師といえば、1979年のイラン革命を指導した後、1989年に亡くなるまでイランの国家最高指導者として君臨した強面のおじさんです。
ホメイニという名前はホメインという町の出身者という意味だそうで、本名は別にあるらしいです。
で、我々はそのホメインという町に立ち寄り、ホメイニ師の生家を訪れたのです。
ここでたまたま、ローカルテレビのクルーと居合わせました。
外国人観光客がしょっちゅう訪れるような場所ではなかったらしく、急きょ、インタビューされることに。
生家の印象や、イランの印象などを聞かれました。
「偉大で怖いイメージのホメイニ師も、普通の子供だったころはこの庭を走り回っていたのでしょうね。想像するのは面白いです」と言うと、喜ばれました。
プレゼンターが真面目な顔で質問するのは良いのですが、カメラに写っている彼の上着のボタンが一つ取れちゃっているのに気づいて、吹き出しそうになりました。
ホメイニ師が生まれたという部屋で、私が来訪者名簿にサインしているところも撮影。
ここのパンフレットに写真を載せてもいいかと聞かれました。
もちろん、OKしたのですが、さてどういったパンフレットができたのやら。
どんな番組だったかも、知る由もありません。
ホメインの次に行ったのは、ゴルパエガンという町です。
ここではセルジュク朝時代(11~12世紀)のミナレットなどを見学しました。
ちなみに、世界史ではセルジュク・トルコとして習った気がするのですが、地理的には現在のイランやイラク、中央アジアが中心だったようで、ペルシャ語を話していたそうです。
この日の宿はダランという小さい町。
ここへの途中の景色がまた、雄大で素晴らしかったです。
切り立った山の麓に土色の村が広がっていました。
ダラン自体には特に見るべきものもなく、町で唯一のホテルに宿泊。
そして、ホテルの前庭にテーブルを出して食事をしました。
その際、またもガイドのハリルと運転手のアリが、自分たちの都合で予定を変更したいと言い出したので、きっぱり、Noと告げたのでした。