笑いが止まらぬ海の色 5

翌朝の朝食は、元はチャペルだったらしい部屋で食べた。

このホテル、立地も素材も最高なんだが、もうひとつ工夫が必要かも。

いろいろな調度品がくたびれている。

それから朝のトラニを散歩。

プーリアはどうやら、午後から晴れる所らしく、午前は雲が多かった。

亀が山ほどいる池のある公園や、その中で催されていた小さい水族館や、港の埠頭などを散歩。

埠頭の柵には錠前がたくさんかかっていた。

これはイタリアでよく見る光景。

スペインでも見たっけ。

それから港の反対側の大聖堂があるほうへ。

月曜の朝だというのに、たくさんの人が海水浴を楽しんでいる光景を見た。

私がそこにいた間にも、自転車で乗りつける若者などが。

彼らは失業者なのか、それとも働いているふりをして(タイムカードを押して)出てきているのか・・・。

イタリア全土の失業率を押し上げている南部だが、結局のところ、人生を楽しめているならそれでいいのかなと思ってその場を去ったことだった。

大聖堂の前では、イタリア国内から来たツーリストに写真を撮ってもらったが、頭のてっぺんからつま先まで全部、入れて写してくれた。

ふつう、人はこういう写真を撮るんだなあとあらためて感心(?)した。

旧市街を歩いていたら、英語が聞こえた。

ちょっと聞いていたら、オーストラリアのツーリストということが判明。

豪ドルが強いからか・・?彼らを先導している地元の爺さんガイドの英語がつたなく、何だか気の毒だったーーどちらも。

カフェで一服。

ベイリーズ入りのアイスコーヒーが特筆に価するおいしさであった。

その後、近所の町、Barlettaに行ってみた。

城、教会、海と三拍子そろっているのだが、いまひとつぴんと来ない町だ。

ビーチに出てみたが、せっかくの美しい海を台無しにする工場のような建物が背景に見えてがっかり。

でも海を見ていたら、入りたくなり、どこか別のビーチを探すことにした。

今夜の宿はバーリの南のMonopoli なので、南下する。

途中、きれいそうなビーチに出てみたが、今度は風が強すぎて泳ぐのは無理と判断。

風景だけ楽しんだ。

そしてモノポリのホテル、Don Ferrante にやってきた。

このホテルは皆さんにお勧めできる。

お気取り屋さんも含めて。

旧市街を囲む城壁のすぐ内側にある古い建物ーーあとで火薬庫だったと知るーーを改装した迷路のようなつくりながら、屋上に小さいプールや、くつろげるスペースなどを備える。

聞いたところによると、オープンして、まだ1ヵ月半なんだそうだ。

だからお手ごろなお値段だったわけで、もう少ししてはやってくると、きっと値上がりそう。

部屋は楚々と美しいだけでなく、最新兵器がいろいろそろっている。

こういうホテルに出会うと、ホテルにとどまる時間を引き延ばしたくなるが、でもやっぱり町を楽しまなくちゃと、外へ出る。

モノポリの旧市街自体、地味ながら非常に良い味わいがある。

迷路のような路地が白い壁の家屋に囲まれている。

漁港に行き着いた。

幸運なことに、ちょうど漁船が帰ってきたところで、夕方の美しい光の中で、猟師たちが魚屋に獲物を引き渡している光景が見られた。

「漁村」という形容詞は旅行者をひきつけるものだが、たいていの場合、ガイド本にそう書いてるところは「漁村だったところ」が多い。

しかしモノポリは本物の漁村だ。

爺さんがビニール袋いっぱいの海老をぶら下げて自転車で立ち去る光景なんかが見られる。

その港の近所に見つけたレストランに入ってみた。

もちろん魚介類のレストランで、メニューにマッツァンコーレがあったので狂喜した。

大昔に私の両親が初めてイタリアを訪れたときに覚えてきた料理の名前だったが、その後、私自身はお目にかかることがなく、両親が何かスペリングでも見間違えたのだろうぐらいに思っていたのだった。

簡単に言えば海老の塩焼き。

塩の中に海老を埋めて蒸し焼きにしたような感じかな。

非常に美味であった。

このレストランIl Guazzetto もホテルと同様、一ヵ月半前に若いシェフ二人が昔からあるレストランを買い取ってオープンしたのだそうだ。

とても感じがよく、ここもみなさんにお勧めしたい。

モノポリはいわば、観光発展途上町。

こういったホテルやレストランが生まれつつある半面、漁民が昔からの日常生活をおくっている。

トラニや、以前に訪れたオトラントのような活気のある観光地としてこれから発展するのか、それともリセッションの折、ぽしゃってしまうのか、まだ分からないが、いずれにしても、まったくすれてなくて良いタイミングで訪れたものだと思ったことだった。