聖ヴォロディ―ミル大聖堂の後、黄金の門へ。
ここは前回の旅行の際にも行ったところですが、名前とは裏腹に、一度も金色だったことがない門です。
コンスタンチノープルの同名の門をモデルに建てたもので、名前も拝借したということだそうです。
前回の旅行の際にはちょっと異なる説明を聞いたのでしたが・・・。
門の前にある像は、聖ヴォロディ―ミルの息子のヤロスラフで、これから行く聖ソフィア大聖堂を掲げています。
けれど、その様子がケーキを掲げているようなので、「キエフ・ケーキの像」と呼ばれているとか。
さらに進むと、宮殿のような建物が見えましたが、ガイドのミロスラーヴァは「あれはただの貸アパート」と切り捨て。
キエフには外観が豪華なアパートがたくさんあるようです。
それから、カライテ・ケナサというアラブ調の建物の前を通りました。
これは、初日に見た「キメラの家」を建てたのと同じ、ヴラディスラフ・ホロデツキーの作品。
カライテというのは、クリミア半島の民族で、ユダヤ教とトルコの土着宗教が混ざった宗教を持つ人々で、この建物は彼らのお堂だったとか。
ソ連時代には劇場や映画館として使われた後、今は「ウクライナの俳優の家」だそうです。
そこから裏道に入り、ワタリガラスが檻の中で飼われている小さい広場へ。
誰がいつここで飼い始めたのか不明だそうですが、このカラスを中心にちょっとした若者のコミュニティーができているという話で、確かに若者がたむろしていてトレンディーな雰囲気。
広場に面した建物の壁には、カラスの壁画が描かれていました。
そして聖ソフィア大聖堂に辿り着きました。
これはキエフ最古の教会で、11世紀初期のもの。
ソフィアというのは聖人の名ではなく、「英知」という意味で、トルコのイスタンブールにあるアヤソフィアと同様だとのこと。
学問や文化の中心で、キエフ公国初の学校や図書館が築かれたそうです。
ここも、中の写真は厳禁で残念だったのですが、オリジナルのフレスコ画やモザイクが残っていて圧巻でした。
ただ、修復工事の最中だったので、足場が組まれていました。
半面、そのおかげで、普段は一般公開されていない階段を上ることができました。
階段の壁には、教会にしては珍しい狩りを描いたフレスコ画などがあり、ミロスラーヴァも「写真では見たことあるけれど、本物を見たのは初めて」と興奮していました。
ヤロスラフがここに埋葬されているということになっていましたが、2009年にDNA調査をしようとして棺を開けてみたら、女性の骸骨しか入っていなかったという話。
ソ連時代の調査の後、誰かが米国に持ち出したという説があるそうです。
外にある鐘楼はもっと新しく、18世紀のもので、高さが76メートルあります。
民族衣装を着た天使が描かれているのが特徴だそうです。