人口: 約445.1万人

面積:22,450平方km

行政区: 9県

イタリアエミリア・ロマーニャ州はイタリア北中部に位置しており、最も土壌が豊かで肥沃な土地を持つ州と言われています。

州都のボローニャから東側をエミリア地方、西側をロマーニャ地方と呼びます。

バルサミコ酢、パルマハム、ボローニャソーセージなどの産地であり、食品産業がとても盛んな地域です。

また、誰もが知るフェラーリやランボルギーニなどの自動車メーカーが本社を置く、自動車産業の中心地としても知られています。

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エミリア・ロマーニャの観光名所

ボローニャをはじめとした様々なルネサンス都市が集まるエミリア・ロマーニャ州は、ヨーロッパの中で最も豊かな地域の一つとして知られています。

ヴェルディのオペラやフェッリーニの映画などの芸術文化も盛んで、あらゆる街で劇場公演が楽しめます。

芸術、歴史、建築などの見どころ以外にも、ヨーロッパで最も長い浜辺を誇るロマニョーラ海岸、サルマッジョーレ・テルメのような温泉地などがあり、様々な角度から楽しむことができる州です。

ボローニャ

1088年に設立された世界最古のボローニャ大学と、豊かな丘陵を持つことで有名な学問とグルメの街、ボローニャ。

考古学博物館に囲まれたマッジョーレ広場は中世以来、街の中心として栄え、周辺にはネプチューンの噴水、旧ボローニャ大学、サン・ペトロニオ聖堂などの見どころが集まっています。

レンガ色に染まる古都ボローニャの街並みを一望するには、そこから程近いボローニャの斜塔(トッリ・ペンデンティ)に上ってみましょう。

ボローニャが発祥のボロニェーゼ・ソースを使ったラザーニャやタリアテッレ、ボローニャソーセージの名で知られるモルタデッラ・ハムなどの地元の名物料理を味わうことも外せません。

パルマ

中世時代、自治都市として長く栄えたパルマでは、洗練された街並みと豊かな食文化が体験できます。

シンボルであるガリバルディ広場をはじめ、ロマネスク様式のドゥオーモ、巨匠コレッジョによる「聖母被昇天」が飾られたパルマ大聖堂など見逃せないスポットがいくつもあります。

パルマの代表的な産物で、世界的にも有名なパルミジャーノ・チーズや生ハムを地元で味わうこともお忘れなく。

また、多くの劇場を有する芸術の街でもあり、レージョ劇場で開催されるヴェルディ・オペラ・フェスティバルは音楽ファンにとっては必見です。

ラヴェンナ

モザイク芸術の宝庫と呼ばれ、ビザンチン文化が花咲く街、ラヴェンナ。

光輝く圧倒的なモザイク遺跡は町中にあふれており、中でもサン・ヴィターレ聖堂を飾る黄金のモザイクは非の打ち所のない美しさを誇ります。

城壁と門に囲まれた小さな町なので、世界遺産に登録されている8つのモニュメントを十分、歩いて回れます。

古代ローマ時代から伝わるピアディーナと呼ばれる平たいパンや、柔らかいスクアクエローネ・チーズのような郷土料理が味わえるレストランで舌鼓を打つのも楽しみの一つです。

フェッラーラ

14~16世紀のエステ家統治下時代に、ルネッサンス文化の中心地となった芸術的な街、フェッラーラ。

そのエステ家によって14世紀後半に建造された城は、現在は多くの部屋が公開され、貴重なフレスコ画などを間近で見ることができます。

ルネサンスの理想都市」を目指して拡張された街並みは、それは洗練された美しいものであり、街全体がユネスコの世界遺産に登録されています。

エミリア・ロマーニャの天候

イタリア北部に位置するエミリア・ロマーニャ州は、アルプスの影響により春や初夏の天気が不安定になりがちです。

一方、夏場は晴れの日が続くことが多く、ボローニャなどの都市は日によって40度近くになることがあります。

その場合、地面の照り返しがとても強いので、サングラスや日焼け止めなどが必須です。

天気が安定した夏がエミリア・ロマーニャ州に訪れるベストシーズンと言えますが、8月後半になると再び天気が不安定になるので要注意です。

エミリア・ロマーニャの歴史

豊かな食文化や芸術を誇るエミリア・ロマーニャ州は、他の州と比べ、比較的早いうちから各地で自治都市を形成し始めました。

古代ローマ形成後は、ローマ人により地域を制圧されますが、彼らにより現在のボローニャ、モデナ、パルマなどの重要都市が建設されていきました。

中世前期、キリスト教が広まると、この地域には多くの修道院が作られ、文化的・宗教的な繁栄がもたらされました。

16世紀には現在の州域の大部分は教皇領となりましたが、西部に位置するパルマ公国とモデナ公国は独立を維持し、19世紀のイタリア統一まで続くことになります。

長い歴史の間、勢力として大きなまとまりになることはなかったものの、エミリア・ロマーニャ州は古くから学問や芸術の分野などで、世界的に重要な舞台となってきたのです。